はぐれ雲

毎日世界のどこかや身の回りで起きることを自分のことばで書いていきます。かなり過激な場合もありますがいつも本音です。

やっと話せるSさんの孤独死

2021-12-16 21:01:55 | 日記
Sさんが孤独死されて約一ヶ月たち、ようやく精神的に落ち着き話せるようになりました。

Sさんはその日コーラスの練習日だったのに来なかったのです。
初めてのことでした。わたしはSさんの御誘いでコーラスグループに入ったのです。
ときどき道端やスーパーでお会いする程度のおつきあいだったのですが
地域にとても良いテノール歌手の先生が指導されているとのことで入ったのです。
わたしは35番目のメンバーでした。入会してまだ2か月足らずですが。
Sさんの家も知りませんしお茶したこともありません。
ただ、ある特定の党に投票してくださいと頼まれ、わたしは現在の立場上特定の宗教や
特定の党を応援することはできないとお断りしました。その程度の付き合いです。

コーラスの練習が始まる前、「最近軽い認知症が出てきたようだから曜日を勘違いされているのでは?」
と口々に言われリーダーや親しい方が3人で家に迎えに行きました。でもお留守だったそうです。
「おかしいな?今まで一回も休んだことのないかたが」と先生も言っておられました。

わたしは2時間の練習が終わった後、もしやと思い近所のショッピングモールへ行き
よくお昼にバッタリお会いすることがあるので1階から4階までざっと探しましたが見当たりませんでした。
リーダーに電話し家をお聞きして尋ねてみることにしました。
わりと近所のためすぐ探し当てて、チャイムを押しても応答がありませんでしたがドアののぞき穴から
見ると玄関は明るく電気がついておりました。おや?と思い今度は家の後ろに回ってみました

少しベランダのサッシがあき、カーテンはしまっており洗濯物は干してありませんでした。
そこへ近所の方が通りかかったので、Sさんは毎日洗濯をする方ですか?とお聞きしました。
すると、とても几帳面な方で毎日洗濯している。あら、今日は天気なのに干していませんね。
とのことでした。

わたしは出かけたのなら昼から玄関の電気は点けていないはずと思いました。
それで「、間違いでもいいから。」と思い切って警察と救急車を呼んだのです。
5分くらいすると、なんと消防車まで来ました。
どうやら鍵をあけるためのようです。
救急車はAEDと担架を持ってすぐ家の中に入りましたが、3分ほどで帰ってしまいました。
ああ、亡くなっているんだなとその時初めてわかりました。

わたしは外で待っていたのですが警官が3人入ったきり2時間以上出てきません。
人がだいぶ集まってきましたが。わたしは何も言いませんでした。
さらに警察官が4人来て第一発見者?ということで状況を説明するよう言われました。
わたしは今日のことと自治会長さんに連絡して緊急連絡先(子供さん?)を持ってきていただき警察に
申し送るようお願いいたしました。

Sさんは新聞の切り抜きをしてる最中に発作を起こして亡くなったようです。
新聞受けは4日前の分まで入っていたのですでに5日前に亡くなっていたのでした。
顔にあざがあったそうで何かにぶつかったようです。
持病はこれといってなく、近所に数か月に一度検診に行く程度だとおっしゃっておられたのですが。
夕方になり。「とりあえず不審死ということでこれから病院で検視します」と警察官の方が言われ
わたしは5時間後に家に帰ったのです。とても残念で悲しかったです。

一人暮らしの方は何らかの対策が必要ですね。
ご家族に毎日「無事です」と電話を入れることや、自治会や地域に極力声がけしてもらう。
緊急や急変時の場合でもボタンひとつで飛んできてもらえるセコムに入ることなど。

6日後に妹さんから電話があり、「今の時期で良かった。早く発見してもらって」と言われ
検視の後医師から死因の説明を受けられ、その後火葬してすぐお骨をお墓におさめられた。
通夜も葬式もやらない(コロナのご時世だからか)とのことでした。
なんともやりきれない気持ち。Sさんが可哀そうでつい涙が出てしまいます。

その前の月には70代の一人暮らしのご老人が風呂場で息絶えたのにも立ち会いました。
子どもが隣町なのに電話に出ないと警察に電話したそうですが、その前に飛んで来いと思いました。
わたしの担当地域では55組の老々介護、27人の一人暮らしの高齢者(75以上)その他200世帯を担当して
いるので本当に気の抜けない日々です。できるだけ1件でも多く毎日訪問するようにしていますが。
・・・それにしても日本はすごい高齢者社会に突入したものです。



北国行きで

2021-12-15 19:20:15 | 日記
今日たまたま見たSLのビデオ番組。
この季節になると毎年のようにテレビで見る、
津軽鉄道のストーブ列車の走る風景、
もちろん乗ったことは無いのですが、
客車にダルマストーブをつけて暖房とし、車窓から地吹雪の景色を眺めるノスタルジックな世界
凍てついた窓の列車が雪の中を走る姿には、
いまだにこころの芯が淡い水色にになるくらいうるるんうるるんしてしまいます。
あの静かで暖かい、でも足は冷たひ(笑)車内の雰囲気は、
やはり経験した人には忘れられないでしょう。
母の住んだ雪国に行けば、康成っな世界が実現すると思い、
自分の進路も将来ももそっちのけで雪国生活を夢見ていました。
しかし結局はそんな文学小説のような旅をしたのは、
結局19才のその時だけでしたね。(遠い目)

そのあとなぜか長じるにつれてベクトルは反転し、
夢にも思っていなかった沖縄石垣島にに住みたいと願うようになるのですが、
それはわたしにとって本当に精神的に良かったことでありまして、
そんな最果ての「ああ~海峡に雪が降る~」冬の暗い風景や、
故高倉健さんが10代から四半世紀にかけて好きだったあのころそのころ
太宰のような重い東北人気質に長期間なぜかどつぼにはまっていた
北国志向のわたしを見事にぶちこわしてしてくれましたから(笑)

石垣島の大自然に膝を屈し魂がただ泣けた。涙が自然と溢れて来る。
バスもほとんどない。パチンコ屋も見当たらない。我慢だらけの地味な生活を苦に思わない
なんくるないさー(なんとかなるさぁ)の人達の住んでいる場所なんだよねぇ。
職場も見つけ(八重山県立病院)土地も買いました・
子どもたちにそこで暮らそうと話をしたら、でかい雛たちは口をそろえて
「お母さん、あそこは遊びに行くところだよ。住むところでは無いよ」と言われ
断腸の思いで(笑)あきらめました。四半世紀前の話です。

うわっ。おっと。おお寒こ寒のお正月さんはすぐそこです。

腎盂尿管癌 と友人が宣告されて

2021-12-14 16:58:42 | 日記
30年来の友人が先週腎臓と尿管癌の宣告を受けた。シスプラチンを一週間投与。二週間休む。これで1クール。
4クール続けて手術は4月末。これっておそくない?転移の恐れがあるって医師にガンガン
質問したほうがいいよ。とわたしは騒ぐが医師でないので治療方針に口ははさめないです。
それと、右の腎臓と尿管はバッサリ切りますからね!と普通に言ったとのこと。つらいですね。
生還を祈るしかありません。3か月前のMRI(糖尿の持病あ))では異常なしだったが今回の
MRIで判明。
進行が早すぎる。
聖路加国際病院のがん種別治療待ち日数、入院日数の目安

さらに私より若い看護師仲間は10月に子宮全摘。リンパ節も広範囲で切除したので
三か月たった現在でも左下腿は右の二倍くらいに。
職場復帰はしたが左にかかとから大腿部までサポーターを装着してるそうだ。
この看護師さんもわたしも同じ外科病棟で数十年前に抗がん剤に曝露している。
最近は、抗がん剤の調剤は、薬剤師や医師が安全キャビネット内で行うことが
多くなっていますが昔は普通に看護室で抗がん剤など薬液をセットしていたのです。
今も、依然として看護師が、十分な安全対策なく病棟内で実施している例もあります。

抗がん剤を運搬・与薬、また抗がん剤を投与した患者さんのケアを行う看護師も
吸入や接触、針刺しなどによりばく露する危険性が高まります。

わたしもきっと癌になるでしょう。でもそのときはそのとき。
何も積極的に治療したくありまへん。ホスピスに入ろうと思っていますです。
わたしは体力が無いので抗がん剤の副作用でそれで力つきてんでしまうでしょう。

今日は正月へ向け大掃除でした。へとへとです。夕食は簡単に鍋焼きうどんでも作ろうかひら?

とにかく全国のがんサバイバーの方、がんばってください!

番頭はん

2021-12-12 22:16:32 | 日記
さきほど、にあんちゃんの誕生日にと駆けつけてくれた長男が帰った。
昼の2時に到着して夕方の5時半に帰って行った。
仕事は朝といっても2時半のセリに出るわけだから、ほとんど寝ないで仕事に直行。
交通事故に気をつけるんだよぉ。
飲みすぎるなよ~。
ちゃんとメシ食うんだよー。 もう、祈るような気持ちだ。親心、母心。

青菜と油揚げの煮びたしと、大根の味噌汁をトン、と置いて顔を見ると
キタナイ無精髭! 「なんやコラ。ミットモナイ!貧乏神みたいな髭生やして。
上野忍ばず公園のホームレスやんか! 魚売れないわな。 清潔感無いと!」
ポンポンいうわたしに「これがみんな同情して魚買ってくれるんだよなー。」
とヘラヘラしている。 ちょうど今日剃ろうと思ってたんだよねー。とかなんとか。
それからかーちゃん、豊洲で一番上等の鯵のヒラキも焼いてくれよな~。ヘラヘラヘラヘラ・・・。
「鯵のヒラキに極上も下等もないだろーに・・・。」と思いつつじゅうじゅう焼く。

味噌汁の大根は千切りやいちょう切りやサイコロなどいろいろに切った。
それをがばりがばりと口へ放り込みながら、ちょっとぎこちなく言ったこのことば。
「俺、番頭になったんだ!。」 それから小番頭それから中番さん、大番頭さんとくる。
「あーじゃあ、店もすぐつぶれるかもね♪」ちょっとからかったつもりだったが
「ウー。そうかもしんない・・・」  誉めてくれなかったのが心外とばかりに感情を押さえて受け流した。
よし。少し大人になった。ここでやさしく
「なーんでまた、おまえみたいな若造が。番頭は20年、30年選手でないとなれないんよ。」

「だってオレ、仕事できるもん。」
「休んだことは一日も無いし・・・。」
ああ、駄目駄目。そういうのは態度や顔にでちゃうんだよね。
人様は顔で笑っていても腹で馬鹿にするからね。
まだまだ素直に下出に・・・。だまって先輩の仕事ぶりを盗んでね。
入って19年目なのだけど、電信柱でも誰にでも挨拶するんだよ。 頭を低くして。
イヤな仕事はおまえが先に立ってやるんだよ・・・。
魚河岸というところは以外に因習の世界。
長男は居住まいを正して、はい、はいと聴いている。

帰り際、後姿を見てがく然とした。
異様に右肩が下がっている。
来る日も来る日も相当重いものを担いでいるのだろう。18で筑地魚河岸で働き始めたころ
手取りは15万円ほどだったが、入社時より毎月9万円の仕送りをしてくれていた。
妹、弟の学資のためにと。結婚するまでだが今でも何かと親を気遣ってくれる。
・・・・・親ばかだなあ。今日はごめんちゃいです。

京都からの電話ではんなり

2021-12-12 22:16:32 | 日記
夕刻。スマホの電話が鳴った。出てみると「京都のマールブランシュと申します(アガリ調子)
え?あ?
何でひょ?電話の女性の声がやさしくてやさしくてごあいさつもほっこり。

実はお正月のお年賀には例年、京都北山の「茶の香」のラングドシャの箱詰めと決めていので。
数日前に御濃茶のクッキーにクリームをはさんだこのお菓子を必要数注文しました。

ところがわたしがいつもパソコンから注文しているのに電車の中で操作してスマホで注文を。
どうやらアカウントがふたつできてしまったようで古い方に累積ポイントがつかない。
個人情報とIDとパスワードを再設定してほしいとのことだった。送料は無料になるらしい。
ふむふむなるほろ。
スマホをスピーカーにしてパソコンで説明を聴きながら操作したのですが
いやはや京言葉ははんなりしてええですね。女性は一生懸命標準語を話す努力をされているのですが
なんか京都弁?失礼、京言葉がぞわぞわ来るんですわ。丁寧で親切でゆっくりで。ぽよよん。
京都の人がもらってうれしいお菓子が、「茶の香」だと結構な数の知り合い友人から聞きましてん。

甘さ控えめ、抹茶がとっっても濃い!!少しシャリッとした食感がまた濃厚さを引き立ててます?
そして濃厚なのにくどくなく…今まで病院の看護師さんにおみやとして持参しても大うけどした。

かなり以前、紫野の親戚の家に遊びに行ったときのこと。お母様と男の子ひとり。うちら親子に

「あんたら~、こっちおいない。梨むいたえ~、食べよしや~」
「お母ちゃん、僕もよばれてええか~?」
「なに言うてんのん、アンタはさいぜん食べたとこやないの」

こんなやり取り聞いててほっこりなんてのはなんてのは今は昔になるんでしょうね…