三日前に母方の祖母が亡くなった。
92歳。
気が強く、弱音を吐かず、サバサバした性格の婆ちゃんだった。
昨夜が通夜、今朝が葬儀。
(もう日付が変わってしまったが)
ここ一年ほどは認知症も進み、今年の正月に会ったときはオレの甥っ子を見ながら親父に向かって「保田さんも子供ができて張りが出らぁな、仕事終わって家に帰るのが楽しみだろ、琢磨がなぁ」みたいなことを言っていた。
30年前に逆行しているのは分かるが、では甥っ子と親父の間に座っているオレはいったい誰なんだと(苦笑)。
癌が全身に広がっているため余命宣告され、少し前に肺炎をこじらせて入院していた。
数週間前に見舞いに行った際にはもうほとんど意識がなく、オレのことは分からなかったようだ。
夕方、本来ならば電話をかけてくるはずのない時間帯におかんから着信があったとき、もう何が起きたかは予測できた。
47年前に祖父が亡くなり、それからひとりで三人の娘を育て、オレを含む5人の孫が生まれた。
ウチのおかんは三女で、婆ちゃんは同じ町内の長女一家と同居していた。
共働きだったこともあり、オレは幼い頃から祖母の家に預けられ、同い年の従兄弟と遊んでいた。
今でも覚えている昔のこと。
昔の婆ちゃんの家の近くには「ゆるやかなU字型」に川が流れていた。
小学生になるかならないかという幼い頃、婆ちゃんに「川を見に行く」と告げ、従兄弟と二人で大雨が降ったあとの増水した川へ向かった。
当然家に近い側(U字型の上流方向)へ行ったと思ってすぐあとを婆ちゃんが追いかけてきたらしいのだが、二人はわざわざ家から少し離れたU字型の下流方向を見に行っていた。
川に孫二人が見当たらず、婆ちゃんは「孫が流された」と大騒ぎしたらしい。
しばらくして当事者二人は何事もなかったように帰ってきて怒られたが、当時はなぜ怒られたのか理解できなかった。
幼かったから仕方がないとはいえ、婆ちゃんゴメン!
小学の中~高学年の頃、おやつ時になると従兄弟と声を合わせ「おばあさん、100え~ん」とねだり、近所のお菓子屋に走った。
それが日課だった。
中学になると従兄弟とも遊ばなくなり、婆ちゃん家に行くことも少なくはなったが、近所なのでふら~っとチャリンコで我が家に来ては、茶を飲んで話をして帰っていった。
(80歳ぐらいまでチャリンコに乗っていたが、あまりにも危なっかしいので周りが乗るのを止めさせた)
通夜のあと、香典返しの中に「長寿銭」というものが入っていた。
婆ちゃんの名が記された小袋の中に一枚の硬貨。
5円か10円だと思っていたが、開けてみると100円玉が。
あの頃から20年以上経って、最後に婆ちゃんに100円のおやつ代をもらったような気がして、泣けてきた。
92歳。
気が強く、弱音を吐かず、サバサバした性格の婆ちゃんだった。
昨夜が通夜、今朝が葬儀。
(もう日付が変わってしまったが)
ここ一年ほどは認知症も進み、今年の正月に会ったときはオレの甥っ子を見ながら親父に向かって「保田さんも子供ができて張りが出らぁな、仕事終わって家に帰るのが楽しみだろ、琢磨がなぁ」みたいなことを言っていた。
30年前に逆行しているのは分かるが、では甥っ子と親父の間に座っているオレはいったい誰なんだと(苦笑)。
癌が全身に広がっているため余命宣告され、少し前に肺炎をこじらせて入院していた。
数週間前に見舞いに行った際にはもうほとんど意識がなく、オレのことは分からなかったようだ。
夕方、本来ならば電話をかけてくるはずのない時間帯におかんから着信があったとき、もう何が起きたかは予測できた。
47年前に祖父が亡くなり、それからひとりで三人の娘を育て、オレを含む5人の孫が生まれた。
ウチのおかんは三女で、婆ちゃんは同じ町内の長女一家と同居していた。
共働きだったこともあり、オレは幼い頃から祖母の家に預けられ、同い年の従兄弟と遊んでいた。
今でも覚えている昔のこと。
昔の婆ちゃんの家の近くには「ゆるやかなU字型」に川が流れていた。
小学生になるかならないかという幼い頃、婆ちゃんに「川を見に行く」と告げ、従兄弟と二人で大雨が降ったあとの増水した川へ向かった。
当然家に近い側(U字型の上流方向)へ行ったと思ってすぐあとを婆ちゃんが追いかけてきたらしいのだが、二人はわざわざ家から少し離れたU字型の下流方向を見に行っていた。
川に孫二人が見当たらず、婆ちゃんは「孫が流された」と大騒ぎしたらしい。
しばらくして当事者二人は何事もなかったように帰ってきて怒られたが、当時はなぜ怒られたのか理解できなかった。
幼かったから仕方がないとはいえ、婆ちゃんゴメン!
小学の中~高学年の頃、おやつ時になると従兄弟と声を合わせ「おばあさん、100え~ん」とねだり、近所のお菓子屋に走った。
それが日課だった。
中学になると従兄弟とも遊ばなくなり、婆ちゃん家に行くことも少なくはなったが、近所なのでふら~っとチャリンコで我が家に来ては、茶を飲んで話をして帰っていった。
(80歳ぐらいまでチャリンコに乗っていたが、あまりにも危なっかしいので周りが乗るのを止めさせた)
通夜のあと、香典返しの中に「長寿銭」というものが入っていた。
婆ちゃんの名が記された小袋の中に一枚の硬貨。
5円か10円だと思っていたが、開けてみると100円玉が。
あの頃から20年以上経って、最後に婆ちゃんに100円のおやつ代をもらったような気がして、泣けてきた。