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書道 直庵(筆耕所)

弘道館

水戸城二の丸跡に所用のありて朝に庵を出ず 千波湖畔のすすきやさしく揺れ 偕楽園の好文亭静かにたたずみてあり 銀杏坂を上りて三の丸に入る 大手橋に向かひて歩み行けば 左手に弘道館の見へたる 天保二(1841)年列公が藩校として設立したるものなり 数えて265年 白壁 秋の風に吹かれ 玄き瓦 雲を背にして不動なり 大手橋を渡れば 水戸城二の丸に入る 城の由緒を記す標あり さらに行けば 右に義公生誕三百年記念碑 左に大日本史編纂之地の石碑あり 
所用を終へし頃は細き雨しきりに降れり 御三家として名を轟かせたる水戸徳川家の居城跡に立てば 雨音の他きこえるものなし 弘道館が白壁は雨に洗われ その白きを増し 玄き瓦は水を得て光を放ちたる しばし古へのおもひを深くす

列公:れっこう 九代藩主徳川斉昭(なりあき)
義公:ぎ こ う 二代藩主徳川光圀(みつくに) 

コメント一覧

山桜
いえいえ・・・
http://gsj-tky68.seesaa.net/
 さすがに水戸城址ではありませぬ^^; もそっと古い小さな

城址ですので、今までそれと気付きませんでした。

たしか江戸時代の先祖は医者だったと聞いたように思います。

私が植物に興味を持つのはその血の流れかもしれません。
あかひと
仙羽壺
千波湖を「線箱」と聞くは をかしかりけり 好文亭を「子をおぶって」大洗を「おおわらい」と聞くに似たり なほ 千波湖の響き「仙羽壺」は如何なるや さて 水戸城跡に近き由緒ある伽藍 山桜姫出でたる家の菩提寺とは驚きぬ いとやんごとなき位にありし御方なりといにしへをしのぶこと切なり 頓首 
あかひと
藝に遊ぶ
善人氏の来駕を悦ぶ 氏は四十ヶ日の内三度訪れたるか 我想故我有の聖人出化流徒の如き尊き思考の御方と脱帽す なほ 額の言葉は「遊於藝」にして「藝に遊ぶ」と読みたる 右より左に書きたるに左から見れば「落款 藝於遊」となる *落款 = 署名 押印

いかにも物知りたるやふな物言いの失礼を謝らむ 頓首
山桜
千波湖
http://yamasakuran.seesaa.net/
 水戸へは法事の度に参りますが、子供の頃大人が「センバコ」と

言うのを耳で聞き、「線箱」ってナンダロウ??と思っていました^^;



 今回気になって地図を眺めたりネット検索してみたりしたところ、

菩提寺が城址に建っていたことを知り驚きました。

そういえば、ぐるりと坂を登っていく雰囲気は城山のようでした。

次回お参りに行く時は、もっと歴史に思いを馳せてみたいと思います。
酒徒善人
縁側
http://syutozennin.blog.ocn.ne.jp/e411y/
筑波研修中、計三度、弘道館を訪ねました。

“芸仁遊”という額の文字が気に入り、そこに通ったわけです。弘道館の縁側に座り、どうして自分は今ここにいるのか?について考えていました。最後の時に、弘道館記の拓本などを買って奈良に戻りました。

でも、筑波から水戸まで、車が無いと遠かった・・・。
あかひと
延長の心得
二の丸は不足用地延にて初に延長す心得を学びてをれり またの来駕を願うこと切なり 
Anis'
お出かけでしたか
今日はお出かけだったのですね。

朝あかひとさんの職場へ寄りましたところ、車が見当たりませんでしたので、どうしたのかと思っていたのですが。。。
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