お天気は上々・気持ちよい
予定なしの水曜日・昨日 スイミング 終了後にY先生・・・明後日からお休みだから「明日いらっしゃいね」って。
ついつい 「はい」なんて 返事をしてしまって スイミング行かなきゃあと・・・。
と、思ったのに 足は 映画館に向かってしまう。
吉永小百合さん堺雅人さんの「北の桜守」
1945年 日本に暮らす家族のお話し
太平洋戦争 ソ連軍の侵攻で いのちがらがら 北海道の網走に逃げてきて なんとか生き延びる事が出来た。きた。その間は 言い尽くせない過酷な生活がまっていた。
時が過ぎ アメリカに渡った次男の修二郎は米国企業ミネソタ24の日本社長として帰国 スーパーのようなお店を成功させていた。
ええっ、息子2人だったのにって どうして1人しか出てこない??疑問に思いながら 見てたら 引き上げの時 撃沈されて 兄は・・・。(お終いあたりにそのシーンが出てきた??)
結婚して 長い間 母との生活はなかったけど 知らせてくさる人があり 再開。
樺太での主人との満開の桜の木の下で別れ 子供達との逃避行 極寒の地で・・・。
いろいろ 疑問に思うところも多々あるけど 最後のシーン 樺太の元の家の桜の満開のところ??かな~~って。
思い起こせば 昔 ヤミ師?って 言ったか お米を買いに来られて 列車の中で 警察官に取り上げられる?窓から放り出したって そんな話を聞いた事、思いだしたり いろんな事に想いを馳せながら 済んでしまった。そのシーンも あり。
こんなに良いお天気の中 のんびり ウオークできるって事に感謝しながら帰途につく。
そして 「先生 ごめんなさい」
予定なしの水曜日・昨日 スイミング 終了後にY先生・・・明後日からお休みだから「明日いらっしゃいね」って。
ついつい 「はい」なんて 返事をしてしまって スイミング行かなきゃあと・・・。
と、思ったのに 足は 映画館に向かってしまう。
吉永小百合さん堺雅人さんの「北の桜守」
1945年 日本に暮らす家族のお話し
太平洋戦争 ソ連軍の侵攻で いのちがらがら 北海道の網走に逃げてきて なんとか生き延びる事が出来た。きた。その間は 言い尽くせない過酷な生活がまっていた。
時が過ぎ アメリカに渡った次男の修二郎は米国企業ミネソタ24の日本社長として帰国 スーパーのようなお店を成功させていた。
ええっ、息子2人だったのにって どうして1人しか出てこない??疑問に思いながら 見てたら 引き上げの時 撃沈されて 兄は・・・。(お終いあたりにそのシーンが出てきた??)
結婚して 長い間 母との生活はなかったけど 知らせてくさる人があり 再開。
樺太での主人との満開の桜の木の下で別れ 子供達との逃避行 極寒の地で・・・。
いろいろ 疑問に思うところも多々あるけど 最後のシーン 樺太の元の家の桜の満開のところ??かな~~って。
思い起こせば 昔 ヤミ師?って 言ったか お米を買いに来られて 列車の中で 警察官に取り上げられる?窓から放り出したって そんな話を聞いた事、思いだしたり いろんな事に想いを馳せながら 済んでしまった。そのシーンも あり。
こんなに良いお天気の中 のんびり ウオークできるって事に感謝しながら帰途につく。
そして 「先生 ごめんなさい」
{さくら}の開花宣言 アチコチで 言ってましたね。5,6輪 さくと でるのですかね~。
羨ましい まだ お生まれで ないなんて・・・・・。
でも 田舎育ちのせいかでしょう、こんな事しか知りません。随所に 苦難の逃避行のシーンが 出てきます。想像を絶するような苦難の道だったらしいですが・・・。
母の記憶を 息子と たどっていくのですが 大切な仕事をほおって いいのかな~と そんな事を 思って。
いろんな事 考えながらの鑑賞でした。堺雅人さん 頼りがいのある息子役でしたよ。
私も母から 聞きました、ヤミ米を買わないで餓死なさったって話・・忘れては ならない記憶です。{ため息}