蒲公英の絮

四季折々の花や空の写真と、自己流俳句で日々を綴ります。

義母が逝って一週間

2023-07-10 21:10:00 | 日記





(ネット画像より)







       いつ咲いて 散りしか白き 沙羅の花








       














       下闇や 遺影の姑の あどけなし



























       百合捧ぐ 永遠の旅路の 姑の胸









七月三日の夕方、義母が亡くなった。
享年95歳。
長男(夫)その妻(私)三男に見守られ、静かに最期の時を迎えた。
安らかだった…と思う。
意識がないまま二ヶ月半。

二人づつ、10分間の制限付きの面会が許された。でも中学生以下は禁止。

それを守りながら、義母の息子三人と、その子どもたちはそれぞれ都合の良い日と、時間を設け、おばあちゃんを見舞ったようだ。

我が娘は、半月ほど前だろうか、私と二人で面会した。

面会の度、少しづつ衰弱しているのが分かる。

呼ぶと薄く目を開けて、小さな声で「ハイ」と答えてくれた日もあったが…。

いつもバカでかい声で呼びかける嫁の私。
「お母さん!今日は⚪︎⚪︎と一緒よ!わかる?」
わずかに頷く。
名前に反応したみたい。
娘が、おばあちゃん、と呼びながら手を握る。
うんうんと頷く。 
思わず嬉しくて涙が込み上げる。すると、娘が泣いている。

「あんな嫁姑の関係だったのに…なんか、お母さんて凄いね。」
と言う。
私は、娘が泣いてるから泣いたのに。
義母の枕元で暫くおいおい泣く母娘。(笑)
義母は呆れていたかもしれない。


きっと義弟やその子どもたちも、そんなふうに、母親、お婆ちゃんを見舞い、それぞれが心の何処かで別れの時を感じていた事だろう。

お葬式は、盛大だった。
我が夫は多分、少し前から構想していたのだろう。

コロナ禍が明け、家族葬じゃなくても問題なし。
親戚も多い。この土地の知り合いも多い。
おそらく義母の葬儀は、コロナ以前の様式にかなり近いもの。

こういう風にしたかったのだね。我が夫は。
葬儀の仕方は、喪主の自己満足に則っておこなうセレモニー。と思う。
七日毎にある法事。49日の満中陰まで、後7回。八月三日の、初命日、お盆(新盆は来年)も含め息つく暇もないくらい。

遺品整理というほどのものはないけど、雑事は山のよう。

法事の後の会食、飲み会…
こちらはお酒大好き男ばかり…
昨日、外での初七日の会食後、家で飲み直す、夫、義弟、親戚。

大雨をいいことにいつ果てるともない。

早くも愚痴る悪妻に、(愚痴った訳ではない。しかも当日は何も言わず。今日、お酒飲みの人はちょっと時間わきまえて欲しいね、と言った。)夫の言葉は容赦ない。
「このくらいで、あのくらいの時間飲んだからって何言ってんだ。
家取りの嫁なんだから。そのくらい当たり前!」ときた。

この先が恐ろしい。

と思うのは長男の嫁として、心が狭すぎるのだろうか。

「故人さまは、浄土で阿弥陀如来さまの元、仏さまとなり、我々を見守ってくれている。」
と、昨日の浄土真宗の住職の法話。
義母は、今頃、あちらで寛いでいるのかな。

まぁ、クヨクヨしないであんたの良かごとやりなさいよ。やって良かよ。
と、可愛さ満載の、遺影の義母が、言ったような…。





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