薩摩芋郎 STORY

100の議論より100円の寄付。
人生は100の苦しみ1回の喜び。
SHOCHU IS MY LIFE

THE LAST 焼酎論

2006-11-24 | Weblog
焼酎論は過去、何度も記してて、もう記したくないんですが、今日で最後
にしますが
「焼酎の蘊蓄、知識を私に語るな!焼酎は語るものではなく呑むもんだ!」

いえね、だから、何度も言い続けて、もうだいぶ浸透(僕が蘊蓄嫌いな事)
しているはずなんですけどね。いえね、焼酎のことを純粋に知らない、
初心者の方、特にあまり呑めない方々が呑み方とか僕に聞くのは当然だし、
逆に嬉しいんですが。焼酎の知識を言いたがるちゅうか最近、また呑まず
に蘊蓄をグダグダ傾ける人がチラホラと現れたので。ちょっと、焼酎に詳
しい人が僕に聞くよろしくないフレーズベスト(ワースト?)3
1「○○って焼酎ありますか?呑んだことありますか?おいしかったですよ」
2「マスターのお薦め、お気に入り焼酎は何ですか?」
3「焼酎はロックですよね」
もう一度だけ記しますが、もう今後記しませんが、僕は生まれも育ちも
鹿児島です。小さい頃から土間に焼酎がゴロゴロしてコロがして遊んで
ました。家で男衆の集まりがあると、まだ小学生であるにも関わらず
「いっと、呑んみゃらんか。わっぜうめど」(ちょっと呑みなさい、
とてもおいしいから)とおじいからお湯割りを頂いてました。中学から
ちびちび呑み始め高校では一升瓶片手に受験勉強してました。大学時代
から多いときは一升五合は呑みました。アドマンになりマーケティング
プランナーとして焼酎メーカーへのプレゼンも経験し焼酎本も何冊も読
破し酒造にも通いました。そして、焼酎を毎日好きなだけ呑むためにバ
ーを開き毎日おいしく呑んでます。無論バーに置いた全ての銘柄を少な
くとも700種類以上、全て一升以上は呑んでます。今でこそ1日4~
5合くらいしか呑めなくなりましたが。毎日
「あ~!焼酎はうまい、幸せだな」と感謝して呑んでます。そんなたか
だか焼酎歴35年しかない私の上記ワースト3に対する一考察です。
(あくまで僕の考えであって押しつけではありません。)
・焼酎は、どんなシチュエーションで呑むか(誰とどんな場所で)で味
 は変わる。嫌な奴と呑むと不味く感じる。
・何杯目に呑むか(同じ銘柄でも1杯目と5杯目では味覚に差がでる)
 で違う。どのような食事(和洋中他)、アテで呑むかでも。食中、
 食前、食後でも。
・1日15杯呑む僕と蘊蓄さんの嗅覚、味覚は違う。(育った生活環境
 が違う、日頃の食生活も違う)
・お薦めしない焼酎を置くお店があるのだろうか?焼酎はすべてお気に
 入りです。
・鹿児島はお湯割り文化です。年配の方の前でロックで呑むと怒られる。
 但し、近年ロックで呑む方が増えたので、ロックで呑んだ方が美味し
 い焼酎も多数開発されてます。ロック好きな人にはロックが合う
 「そちゅ」をセレクトしてます。maybe...
・どの焼酎もメーカーさん、芋農家の方などが精魂込めて作っています。
 この焼酎は自分にあうかどうか各自判断し愛飲すればいいのであって、
 決して人に自分の嗜好をおしつけてはいけません。大きなお世話です。
・ある雑誌記者が焼酎記事の取材で、杜氏にいろいろ味とか、蘊蓄を聞
 いた。黙って聞いていた杜氏は少し怒りの表情で記者に投げ捨てるよ
 うに言った
 「焼酎に聞きなさい」と
以上
SHOCHU IS MY LIFE

尚、今では蘊蓄さんとのトラブルを避ける(僕が怒ると他のお客に迷惑)
ため上記フレーズに対しては以下のように大人の対応をしております。
1「そのような焼酎は置いてません。知りません。」
 (知ってても、置いてても)
2「全てお薦めで、お気に入りなので、メニューよりお選びください。」
3「僕はお湯割りです。」
そのように丁寧にお応えして、静かにそのお客から離れ、その方の5倍
以上のスピードでお湯割りを呑み続けます。(某常連さん曰く「そんな
時のマスターの言い方はロックより冷たい。目はヤクザより恐い」)
*写真はついこの間、訪問させて頂いた最も歴史がある石垣島の某泡盛
酒造所。急な訪問にも関わらず、造り手の責任者であるおばあが丁寧に
対応してくださいました。お世話になりました。僕は泡盛も大好きで、
焼酎の湯割りの前にビール代わりに泡盛の水割りをよく呑みます。

もう一つの「ぽっぽや」物語

2006-11-21 | Weblog
H「そう言えばさ、最近Dちゃん来てる?」
僕「いや~もう三ヶ月位、来てないね」
H「そ~・・あのさ、悪いんだけどさ、もしDちゃん来たらコレ渡し
 といて」
僕「いいけど、いつになるかわからんよ」
 数日後
F「tanyさん、今日、Tちゃん来ました?」
僕「いや~今日は来てないよ。昨夜来てた気がするけど」
(本当に覚えてない)
F「あの~悪いんですが、これ今度来た時、返しといてくださらない?」
僕「いいよ」
F「『また、よろしく』って言っといてネ」
僕「(自分で言えよ・・)あそ、わかった・・ぽっ・・」
 そしてまた数日後
O「先輩!Sって最近、来てます?」
僕「おう、来と~よ。2週に1回ペースやけど」
O「そうすか、あの~これ前Sに借りてたDVDなんすけど・・」
僕「渡しとけってか?・・・ぽっ・・ぽっぽ~」
O「なんすか?ぽっぽ~って」
僕「えっ?俺、何か言った?」

♪ぽっぽっぽ~
 鳩ぽっぽ~
このように、最近僕は、メールの浸透により今や死語となり、デジタル社会の
犠牲者として絶滅危惧が憂慮されている伝書鳩になって場末のBARで健気に生
きています。
ぽっぽやtanyと呼んでください。
ぽっぽ~

ココロとココロのキャッチボール

2006-11-17 | Weblog
年をとるとあちこち痛くなる。特に四十肩、いや、まもなく五十肩が顕著。
昨夜、テレビで難病の子供のためにヒットを打ち、奇跡的に子供の命を救
った大リーガーの再現ドラマをやっていた。そのラストシーンで、大きく
なった難病の子供と引退した大リーガーが楽しそうにキャッチボールをし
ているのを観て、僕も子供とキャッチボールしてた昔のことを思い出した。

「スバッ」
「ボッ」
「パシッ」
 ポロリ・・「ごめん、父ちゃん」
「よかよか」
「ズバッ」
 ポロリ・・「あっ!ごめん」
「どんまい、どんまい」
 と、小学校低学年だった息子は時に落球し、その度にくやしそうな顔を
して僕に謝り、懸命に返球した。会話はほとんどなかった。でも、うまく
表現できないけど息子の投げるボールには一球、一球、様々な思いも一緒
に込もっていた気がする。無論、僕の思い、愛情もたっぷり込めて一球、
一球、投げていたつもりだ。何も言わなくても、なんとなくココロとココ
ロはキャッチしあえてた気がする。そして、息子が高学年になると徐々に
落球しなくなりコントロールもスピードもつき始めた。

「ズバッ」
「ズバッ」
「あっ、すまんすまん」僕の暴投で球はとんでもない方向に飛んでいった。
「父ちゃん、どんまい!どんまい!」
 ボールをダッシュで追いかけながら息子は、僕をかばうフレーズを言い
やがった。いつの間にか、僕のコントロールが狂い始めて立場が逆転して
いた。もう、息子の方が、コントロールもスピードも遥かに上手くなって
いた。僕は30球も投げると肩が痛くなり投げられなくなっていた。
そして、いつのまにか息子とキャッチボールをしなくなっていった。

そして今、次男は中学二年生になった。休日も、野球部の部活、試合で
クタクタになって帰ってきてる。もう、父親とキャッチボールする年齢
じゃないけど、もう一度だけ息子の球を受けたくなった。きっと、思い
っきり手加減してくれるんじゃないかな、
と今宵も五十肩をさすり、目頭を熱くしてぬるくなった焼酎をあおった。
最近、なんかセンチで涙もろいっす。