退屈男の愚痴三昧

愚考卑見をさらしてまいります。
ご笑覧あれば大変有り難く存じます。

読書感想文雑感―困っている皆様へ―(最終回)

2019年08月13日 23時33分18秒 | 日記

 3.課題図書を読んで感じたこと、想ったことを文字化できたら最後に課題図書を離れ、感じたこと、想ったことを基礎に将来を眺めた意見を添えると豊かな感想文になると思います。

 若い人に読書感想文を書いていただく目的の一つは読解力の向上にあると思います。

 文字化された情報を読んで内容を理解するという能力は非常に重要なものです。

 人が外界の状況や現象を理解する方法には大きく分けて二つあると言われています。

 一つは映像と音声による方法、他の一つは文字による方法です。

 未知のものを人に伝えるときは映像と音声による方法が適しています。

 画像や動画を見せてしまえば説明がいらないという事象もたくさんあります。

 しかし、画像や動画だけでは全く伝わらないこともあります。

 それは人の頭の中(脳)で構築される様々な創造物です。

 これを「物」と文字化してよいかどうかは別論としますが、人が考えたことを画像や動画にすることは非常に困難です。

 人が他の人に、限りなく正確に脳内創造物を伝えるために言葉があると言ってよいでしょう。

 私がいま並べている文字も読書感想文で困っている皆様にとって何かのお役に立てばいいなと思って並べているのですが、なかなかうまく行きません。

 人が他の人に自分が見たことや感じたこと、想ったこと、考えたことを100%正確に伝えることは、おそらくできないのではないかと私は考えています。

 したがって、不都合が生じない限度で共通認識を得るために様々な伝達手段があるのだと言ってよいでしょう。

 文字はその中でも最も有力な手段の一つでしょう。

 この文字を並べることで文ができ、文が並ぶことで文章ができていきます。

 その文章を作者以外の人が作者の意図を可能な限り100%に近い確度で受け取るために読解の技術があるのでしょう。

 読書感想文を作成する際に行う要約の過程はこの読解技術の向上に役立つ絶好の訓練の第一段階だといえるでしょう。

 そして、感じたこと、想ったこと、そして場合によっては考えたことが文字化されることにより課題図書を正確に読んでいるかどうか、すなわち、作者の意図を正確につかんでいるかどうかを客観的に見ることができるのだと思います。

 読書感想文の作成に込められたこのような意味を読書感想文を課された人々に十分伝えることができれば読書感想文の効果も向上するのではないでしょうか。

4.「読書感想文に優劣をつける必要は無い」と書きました。これは真実だと確信しています。

 しかし、人々の中には「人は互いに競わせると能力が向上する」と信じているものがいます。

 確かに、競技スポーツやその他、競争に馴染むものでは頻繁に競争が行われます。

 しかし、私は「なぜ競うのだろうか?」といつも懐疑的に眺めています。

 せめて人の感性を鍛える読書感想文では優劣をつけることは控えて欲しいものです。

 本を読むことで他者の感じ方や考え方、生き方や価値観に触れることができ自分とは違ったものの見方を知ることができる。

 これは大変素晴らしいことだと思います。

 そして、自分とは異なる感じ方や考え方、生き方や価値観に触れたとき初めて世の中には様々な感じ方や考え方があることを知り、生き方や価値観があることを知ります。

 この自分とは異なるものを自分と比較して眺めることで読書感想文が生まれるのではないでしょうか。

 そうであるならば、感じたこと、想ったことを文字化した後に課題の本を離れ自分はどう考えるかということを将来の自分に向けて書き残すことは意味のあることだと思います。

 以上一通り読書感想文作成のコツのようなものを書き連ねてきました。

 やはり私の文字表現力が低いのでこの文も長く分かりづらくなってしまいました。

 実際にお書きになったものを拝見できれば助言もできるのですがそれは難しいことですね。

 皆様のご活躍をお祈り致しております。

 合掌

(完)


読書感想文雑感―困っている皆様へ―(4)

2019年08月13日 19時37分27秒 | 日記
 2の2.長くなりましたが、それでは「感じる」、「想う」、「考える」を読書感想文に応用してみましょう。

 なお、読書感想文では上記の通り「感」「想」を文字化するのですから「考える」という部分に関するご案内は少なめにとどめ詳細は「レポートと論文の書き方」のところでご案内致しましょう。

(感じたことの書き方)
 以下「書き方」に限定してご案内しましょう。

 まず、感じたことを書くときは「〇〇と感じた」と書きます。あたり前だと思わられるかもしれませんが書き終わったあとでご自身が見直すとき「想った」こととの区別がつかなくなるので「感じた」ことを書くときは必ず「感じた(感じました)」で文を結びましょう。

 感じたことを文字化するときは「感じた(感じました)」で結ばれる前の文字列にも工夫が必要です。

 「難しいと感じた」、「簡単だと感じた」、「重要だと感じた」、「不要だと感じた」、「丁寧だと感じた」、「雑だと感じた」、「大きいと感じた」、「小さいと感じた」、「意地悪だと感じた」、「優しいと感じた」等々思いつく感じ方は多彩です。

 しかし、「感じた」に先行する文字と親和性のあるものが対象でないと文が成り立ちませんので注意が必要です。

 「その山が大きいと感じた」は普通です。

 「その山が優しいと感じた」は山を擬人化(人のように見る表現方法)していると見られるので間違いではありません。

 しかし、「その山が雑だと感じた」という文字列には意味を補足する文が必要になるかもしれません。

 補足する文が無いと意味不明だと評価される危険があります。

 作家さんならば話は別ですが、夏休みの宿題で書く読書感想文では普通の人がそのように感じるであろうと思われるものと近いものをご自身が感じる対象に置くことをおすすめします。

 しかし、他方、文字数を増やす(?)には「その山が雑だと感じた」という文字列もおもしろいかもしれません。

 「なぜ『雑だ』と感じたかというと・・・」というぐあいに感想を発展させることができるからです。

 ただし、このやり方は少し高度なテクニックに属しますから受けねらいであまり妙な「感じた」表現をすると収拾がつかなくなるのでご注意ください。

(「要約」の補足)
 ここで、「要約」のところで書き忘れたことを補足します。

 感想文に不可欠な要約ですが、これは感想文を書く人がその本の内容をある程度理解していることを示すものです。

 したがって、目次を文章化して要約をつくることは推奨されますが、この作業の中でその本の内容を理解してください。

 そうでないと「感」も「想」も生じませんから。

 また、誰かが作った感想文のコピペは見る人が見るとすぐに偽物だと分ってしまうので、苦労するかもしれませんが自力で作成して欲しいと思います。

 そのようにして作られた感想文は独創性があり読んでいてもワクワクするものです。苦労を楽しんでください。


(「感」から「想」へ)
 感じることは自由で根拠もいりません。

 「なんとなく・・・と感じた」という程度で十分です。

 さて、そこで、この「感じた」ことを「想った」に発展させてみましょう。

 「想った」ことは思い出したことでもいいし、思いついたことでも構いません。

 想像したことでも、もちろん大丈夫です。

 ここで大切なことは文字化の技術ですね。

 これが大変、大変難しいのです。

 これを表現方法と呼んでおきましょう。

 この表現方法は学ばなければ身に付きません。

 しかし、学び方は難しくはありません。

 なぜならば、感想文の課題となった図書を読み終えていればその中で使われている表現方法を使えばいいからです。

 課題図書が小説であればこの表現技法はたくさん含まれているはずです。

 それが伝記であれば人の成長を描写する表現技法が多く含まれているかも知れません。

 歴史書や歴史小説ならば時代を表す表現や、物事を表現する古い技法を見つけることができるでしょう。

 そのような表現方法や技法を使ってご自分の感想文をつくるのもおもしろい試みだと思います。

 さて、「感」から「想」へ至る過程を眺めてみましょう。

 「感」は一瞬のひらめきかもしれません。

 あるいは、後からじわっと浮かんでくるものかもしれません。

 他方、「想」はこの「感」を脳や心にいったん取り込み、過去の思い出や「感」の記述から思いついたこととつなぐことで「感」とは違ったものとなって現れます。

 例をあげてご案内しましょう。

 大変きれいな日の入りを描写した記述を読んだと仮定しましょう。

 挿絵があると想像が膨らみませんが、挿絵が無いと想像が膨らみます。

 実際には見たことが無い日の入りを想像するのは難しいかもしれません。

 とはいえ、中学生や高校生くらいになれば、いや小学生でも一度くらいはきれいな日の入りを見たことがあるでしょう。

 そのときの様子はどうであったか思い出してみましょう。

 「きれいだ」と感じた「感」を「あのときは・・・だった。」という「想」に発展させることができるかもしれません。

 しかし、「あのときは・・・だった。」という部分の表現方法が難しく、これが(優劣をつける必要は無いのですが)感想文の評価が変わる要素になるのですね。

 そこで、この部分は課題文の他の箇所で使われていて、自分が「想った」ことを的確に表現できそうな表現で描写してみるとよいでしょう。

 そのようにして膨らませて行くと「感」から「想」に発展する部分は意外とあるものです。

 もちろん、「感」のままにしておいても構わない部分もあるはずです。

 そういうところはそのままに残しておきましょう。(つづく)