退屈男の愚痴三昧

愚考卑見をさらしてまいります。
ご笑覧あれば大変有り難く存じます。

先生との出会い(39)― 親父になった!塾講師になった! ―(愚か者の回想四)

2021年04月01日 19時58分45秒 | 日記

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 1982年10月、私達の長女が生まれた。嬉しかった。

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 話はほぼ一年前にさかのぼる。

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 寒い日であった。妻が体調不良を訴えた。

 その期間が少し長く続いたので病院へ行くことにした。

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 念のため受診した産科で妊娠が分かった。

 妻は複雑な顔をしていた。

 私はただただ手放しに喜んでいた。

 しばしば、「男は呑気なものだ」と言われるがまさにその通りだった。

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 子ができたことが分かってからも妻は調子が良いときはKa先生の独法ゼミに出席していた。

 しかし、ツワリが強くなる時期から出席は困難になった。

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 この頃の生活は実に波乱万丈だった。

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 妊娠が分かって帰宅。

 「さて、これからどうしようか。」と二人でぼうっとしていると妻の後輩のS君から電話が来た。

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 「Hさ~ん、バイトやんな~い、塾なんだけどぉ~。」

 じつに軽い。

 少し斜に構えた気取った言い方が彼の特徴であり、良いところでもあった。私は好きだった。

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 「塾はやりたくないなぁ~。」と私は答えた。

 断れる生活状況ではないことをすっかり忘れていた。

 当時、実態を知らないまま私は塾に批判的だった。

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 「まぁ、そんなこと言わないで。どうせ生活、困ってんでしょう。(確かに困っていた。)。いいんじゃないの、少しまとまったお金が定期的に入る方が。(これも当たっている。)知り合いからの話だから悪い内容ではないと思うよ。」(軽い!)

 「分かった。少し考えさせてくれ。」

 「考えている間に決まっちゃうよ、いい話だから。」(説得力大だ!)

 「分かった。やるよ。」

 「塾長さんに会ってそっちで進めてヨ、俺はここまでだ。」

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 彼は元気だった!思い出すと泣けてくる。

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 という話のやり取りで私は塾講師の面接試験を受けることになった。

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 S君以外にも私は後輩に助けられることが多かった。

 後から考えれば、S君のこの話が無ければ私達は生きられなかった。

 しかも、妊娠が分かったその日である。神様の思し召しだったのだろう。

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 大変残念なことだがS君はそれから数年後、若くして天寿を全うされた。働き盛りだった。大変悲しく、大変寂しい。

 いま、改めてご冥福を祈りたい。合掌

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 さて、私達がその時住んでいたアパートは相模原市にあった。東と南に米軍の広大な施設が広がっていた。これほどの眺めは過去にも、そしてその後もなかった。

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 日がさんさんと部屋にあふれていた。

 それまで三年程いた東向きの穴倉のような部屋とは違っていた。人にも太陽が必要なのだと実感した。

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 この塾について少し詳しく書いておきたい。私達を困窮生活から救い出してくれたばかりでなく、様々な意味で大きな存在となったからだ。

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 塾は中学生を対象とする進学教室だった。

 塾長は私より少し年上で数学がご専門だ。

 この時まで英語を担当していた先生がご高齢ということでお辞めになるとのことだった。

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 私が中学生に英語を教えるのである。

 塾生は皆、県立S高校を目指す。

 S高校はその学区ではトップ校だ。

 トップ校を目ざす中学生に私が英語を教えるのである。果たしてまともに教えられるだろうか。熟成の期待に応えられるだろうか。ヘマをしてバカにされないだろうか。不安だらけだった。

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 たしかに、そのとき、私の英語の実力は中学英語に対応するには十分だった。

 しかし、トラウマがあった。

 中学校3年生の時、私は英語で7点を取った。英語が全く分からなかった。

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 大学に入学した頃も英語は悩みの種だった。そして、大学院を目指したときも英語は避けた。

 この状態で高校入試に向けた中学英語に対応できるだろうか。不安を抱えたまま塾長との面接に臨んだ。

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 塾長は地元の人で非常に気さくな人だった。

 英語の教科書を持参してくれた。

 面接試験というより、いきなり打合わせの段階に入っていた。

 「来ていただく日は一週間に3日ですね。1コマ1時間の2コマ。今3年生が一クラスなので、3年生と2年生の2クラス、それに1年生の一クラスをお願いします。6時半からですね。お給料は〇〇円でよろしいですか。よろしくお願いします。」(塾長)

 「承知いたしました。よろしくお願いします。」(私)

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 10分もかからず、採否はその場で決まった。

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 「では、明日から。」

 「承知しました。よろしくお願いします。」

 「よろしくお願いします。」

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 翌日、指定された住所と目印を手掛かりに車で塾へ向かった。塾はすぐに見つかった。

 プレハブ平屋造りの建物はお世辞にも立派とは言えない。 

 今にも倒壊しそうな教室棟は内部が壁で仕切られ教室が二つ作られていた。

 3人掛けの机が左右ふたつに分かれて配置され5列あった。したがって、満席にすれば30人は入る。だが、私が行ったときは各学年各組とも20人前後だった。3年生は10人未満だった。

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 教室とは別に、こちらも仮普請の小屋風の講師控室が脇に建てられていた。

 当時流行りであった本棚付きの机が置かれていた。私のために用意されたものだった。

 小屋風の講師控室の扉には「職員室」の文字があった。のどかで好感が持てた。

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 初日、最初の授業は一年生だった。塾長が先に教室に入った。

 「今日からこの先生だから。しっかり勉強しろよ。」

 そう言って出て行った。

 「軽いなぁ~。」と好意的に感動した。

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 「え~!」という小さな反応があったが子供たちはすぐ学習態勢に入った。一年生の英語である。まだまだ難しい部分は無かった。

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 二年生の最初の授業の日が来た。前回同様、塾長が先に教室に入った。

 「今日からこの先生だから。しっかり勉強しろよ。」

 そう言って出て行こうとすると、「え~~!」とひと騒ぎ起きた。

 「うるさい!静かに勉強しろ。」と笑いながら言って出て行った。実に良い雰囲気だ。

 そして、いよいよ三年生の授業の日が来た。(つづく)

※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。