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そもそも、当時の私は、否、高校生になってからも発音記号の存在すら知らなかった。だから単語の音は感覚で覚えていた。
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中学校や高校の授業では教えていたはずだ。知らないのは私が授業に集中していなかったからだろう。自分の責任だ。
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ただ、少しだけ言いたい。
しばしば、教員は「授業に集中しろ」という。しかし、集中できない授業もある。
兎にも角にも授業が面白くなかった。全教科、全く興味がわかなかった。
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しかも、教室内は常にざわついていた。これは高校まで変わらなかった。教室内の静謐を維持するのも教員の役割のはずだが。
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いずれにせよ、集中なぞできる環境ではなかった。
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だから、自分が教える立場になってしまったとき、まず考えたことは私の話すことに興味を持ってもらうにはどうしたらよいかということだった。
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他人が初めて聞く話、それを人がその人たちにするとき、その話に集中してもらうには方法がふたつある、と感じていた。一つは聴衆をひきつける話術。もう一つは「つかみ」だ。
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恩師のSi先生は寄席に通って話し方を学んだと他から聞いたことがある。話の内容が豊かな先生が話術を落語で鍛えたとあれば誰もが引き込まれるに違いない。
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先生を褒めるのは不遜なことだが、実にご講義がお上手だった。「流れるような話」とはあのような話し方を言うのだろう、と感じていた。学生諸氏にも大変人気があった。
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しかし、自分にはあの真似はできない。そこでもう一つ、集中を促す方法として聞き手の知的好奇心を刺激するという方法がある。私はこれを選んだ。寄席の噺で言うならば、いわゆる「つかみ」なのだろうか。
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塾も大学も同じだ。興味がわかなければどんなに大切な話でも耳には入らない。嫌々聴かされる話は頭には入らない。
だから、教材にはこだわらず塾生が関心を持ちそうな切り口から入った。
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発音記号は概ねローマ字なので一年生でも入りやすかったようだ。
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bookの訳し方の話も受けた。
「book=本」と覚えている子が全員なので、I book.と黒板に書いてみた。
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「わたしボン!」爆笑だ。
気のきいた子は「私は本」と首をかしげる。「『は』が無い。」というと、「あっ、そうか。」と納得する。
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「『予約する』だ。」
静かになってしまった。ポカンと口を開けたまま固まっている男子もいた。
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「まぁ~、そういうことだな。bookは『書き込む』という内容が元なんだな。」
「それが何で本になったの?」と秀才型の女子。
「書き込んだものをそのままにして置いたら扱いにくいだろ。書き込むことがたくさんあれば書き込む紙も大きくなる。大きいままだと扱いにくい。たたんでたたんで綴じれば本だ。分かるだろう。」
「そ~か~。」とポカン男子。
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「英語を勉強し始めた今しかできないから、新しい単語が出てきたらその単語の元の内容を探ってみると良い。おもしろいことが分かるから。」そう言うと別の例をせがむ子がいた。
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「それはまた後で。別の機会にやろう。」と保留した。こればかりやっていると本来やるべきことができなくなる。
また、「いつかこの『ゲーム』ができる」と思うと子供たちは切り換える。良い感じだ。
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ちなみに、その「別の機会」にはこれもまた知る人ぞ知る、「I love you.をどう訳すか。」という話題を提供してみた。1年生も二学期になっていた。
「私はあなたを愛します。」だけなのか。
「月がきれい。」は有名だが、それだけなのか。
ある高名な通訳氏が、「あなた、良い人ね。」と訳したのも有名な話だ。
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「I love it.はどう訳す。『私はそれを愛しています。』と訳すのか。」とぶつけてみた。
『I love it.』は、今どきならば、『これやばくねぇ~?』とでも訳す脈絡があるはずだ。
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この種の問を一年生から三年生まで毎回少しずつぶつけていった。
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ある時、三年生が前置詞に苦慮していた。
「何が何だかわからない。頭に入らない。」そう言うので、「何が、何が何だかわからないんだ。」と訊くと、「前置詞ですよ。一つひとつおぼえなきゃいけないんですか。何か『サッと』つかめるところは無いんですか。」と困り切っていた。
程度の差はあるにせよ3年生全員がその状態だった。
「分かった、何から始めるか。」
「onですね。onは上でしょ。なぜテーブルの下もonなんすか。下ならunderでしょ。」半分怒っている。
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たしかに、教科書のイラストにはテーブルの天板の下についている物の横に「on」と説明が書いてある。
「onはピッタリだよ。」
「・・・」
「だからピッタリ。つまり、動かないでくっ付いている状態をonであらわす。分っかるかなぁ~。」
「『上』じゃないの?」
「上にあるときは上でいい。だけど上じゃないときは上じゃないだろう。」
「何それ?」
「だからぁ~、ピッタリくっ付いている『状態』を表すのがonだ。『上』と覚えたから混乱するんだよ。」
「『上』って習ったもん。」
「俺じゃないな。とにかく単語は訳で覚えるな。内容で覚えろ。」
「・・・」
「訳で覚えるから忘れることもあるし応用がきかなくなる。」
3年生はこのとき、まだ私に対して不信感があった。2年間指導を受けた先生が突然いなくなり若造が出て来たのだから無理もない。
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中でも最も私に不信感を抱いていた男子が向き直った。彼は英語が得意だった。
「訳で覚えなければ何で覚えるのさ。」不満そうに鋭く言った。(つづく)
※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。