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「bookは『本』としか訳さないのかな?」と問うてみた。
「book=本」だと当たり前に覚えていた子が動転した。
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塾では1年生から、私が大学に入って初めて手にした英和中辞典を準備してもらった。
学校では使わないし必要もない。だから準備しないものもいた。
しかし、絶対に必要なものだと言って準備させた。保護者に伝われば必ず購入するはずだ。もっとも、購入代金を着服したものもいた。この点は塾が関知することではない。
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辞書は、いわばパーソナルな学習用具だ。教科書やノートと同じで共用はできないし、すべきでもない。したがって、貸し借りは禁じた。少しかわいそうなときもあった。
しかし、こうすることで早い時期から辞書に慣れてもらうことができた。
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bookを辞書で調べてもらった。買ってもらった新しいオモチャの箱を空けるみたいに辞書を箱から出しページをめくっていた。
そのしぐさが何とも表現できないほど初々しく可愛かった。
「みつかったら手をあげてくれ。」と告げていたので、「はい、みつかりました!」と次々に手があがった。
「『本』という意味しかないかな?」と問うと、「はい、『本』という意味しかありません。」という声が元気な生徒から帰って来た。「本当かぁ~?」と問い直すと女子群が爆笑した。「本当かぁ~?」をダジャレと取ったらしい。すでに何を見ても可笑しく感じる時期に来つつあった。
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ボーッとしている男子に、「bookは見つかったかな?」と尋ねると、「どうやって探すんですか?」と問われた。
その通りだ。辞書の使い方は習わなければ分からない。そこで、辞書の使い方講習会に移った。
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「分からない単語を探せばいいんだよ。」と元気な女子が言った。
「それだけかな?」と問うてみた。
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少し前までは小学生だ。難しいことを言えば飽きる。しかし、ごまかしはいけない。
そこで、辞書の文字列の組み立てを説明した。
「見出し語の次にあるのが発音記号だ。それから・・・」
「なんだ『発音記号』って。」すかさず男子が声を張る。
「良い質問だ!bookの後ろにカギカッコで何か書いてあるだろう。」と言いながら黒板に「book[buk]」と書いた。
「『発音記号』っていうのは英単語の読み方を記号で示したものだ。」
「なぁ~んだ、ふりがなか。」
この発想がいい。
「ローマ字かぁ~?」
「とも言えるがローマ字には無い記号もある。」
と言って、黒板に、「æ」、「ʌ」、「ʃ」、「ŋ」、「ɔ」、他を書き実際に発音して見せた。
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こんなに受けるとは思わなかった。一年生はゲラゲラ笑い、勝手に私のマネをして音を出した。
一年生の一学期である。まだ、これらの発音を含む単語なぞ出て来ていない。そこで、日本語になっていて、これらの発音を含む単語を黒板に書いた。
「æはbagのaだ。カバンだな。バッグじゃないぞ、バァェッグだ。catのaも同じだ。キャットじゃなくて、キァエットだ。」
bagとcatの発音を含め、このやり取りを文字化するのは困難なので想像にお任せするが、この練習も一年生には受けた。とりわけ男子のノリが良かった。
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「あとは!」と、他の発音記号を含む単語をせがむので順番に代表的な簡単な単語を並べた。
「[ʌ]はcutだな。『~を切る』だ。catと一文字違いだけど発音は違う。これは日本語のアとほぼ同じだな。カットでOK。」
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「左から三つめは?」
「これか?これはsheのsの音だ。日本語の『シ』ではない。」
口を少しとがらせてsheを発音した。
「sheは発音記号で書くと[ʃi:]だ。日本語の『シ』に近い音は海のseaだ。seaを発音記号で書くと[si:]だ。『見る』という意味のseeも同じ発音だ。」
そう言って口を横に引いてseaを発音し、その後、sheとseaを繰り返し発音した。
「[ʃ]は[s]を上下に引っ張った形だ。分かるだろ。」と説明を加えたが、すでに大合唱が続いていた。
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「4番目は?」
「これか?これはsongのgの音だ。songを発音記号で書くと[sɔ:ŋ]だな。」
「cのさかさまも入っているんだ。」と女子。
[:]を指して、「チョンチョンは?」
「これは伸ばす記号。」
「ŋはn+gだな。鼻にかかる『グ』だ。『ング、ング』。」と私が鼻にかけて音を出すと男子が腹を抱えて笑い、「やってごらん」と言わなくても勝手に各自で音を出していた。実に楽しそうだった。自分の中学時代には想像もできない時間と空間だった。
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私が中学生のとき定期試験の発音問題は全滅だった。高校入試も同じだった。(つづく)
※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。