先生との出会い(8)― ライフガード(3) ―(愚か者の回想四)
「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。
ライフガードは全員笛を2個ずつ持っている。一つはホイッスル、他の一つは単管(笛)。溺者を発見した者はこの単管を強く吹いて他のライフガードに知らせる。単管を強く吹くと鋭く高い音が出る。否応なしに第一発見者の緊迫感が伝わる。
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年末年始と夏前の大掃除の時期を除きプールは一年中公開しているので、冬場の勤務は8人、夏場は16人で業務を回していた。
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タワーが溺者を発見すると、まず単管を吹く。自分に近ければタワーを降りてみずから救助に向かう。
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単管の音を聞いて飛び出したものは先ずタワーを見る。タワーに人がいなければ溺者はそのタワー近くなので、最短距離を通ってそのタワーまで全力疾走する。先頭を走るものは空いたタワーに上り監視体制を維持する。
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両方のタワーに人がいるときは、溺者はタワーとは反対側に近いということになるので飛び出したレストのライフガードたちは先を走るコントロールの一人の後を追いダッシュする。
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このとき一名はコントロールカウンターの近くに置いてある担架にとどまる。万一のときは担架を持って現場へ走る。
この動きのすべてを指示するのがその時マイクを持っているコントロール担当者ということになる。
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コントロールはダイビングプールと競泳用プールの間、観覧席の下にある。
溺者発生の位置を確認しやすいようにあらかじめ50mプールを四つに区切りダイビングプール側のタワーを一番、反対側を二番と呼んだ。そしてそれぞれタワー側を窓側またはベランダ側と呼び、タワーの向側を観覧席側と呼んだ。
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単管が鳴るとコントロールはこの組み合わせでライフガードが進むべき方向を示した。
「一番の下、ベランダ側」、「二番の前、観覧席側」という具合である。
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タワーが救助に向かった場合、残ったタワーのものが溺者の位置をメガホンで指し示す。
控室から出てきた他のライフガードに進むべき方向を示しながら、その姿勢は他のライフガードが現場に到着するまで崩さない。
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タワーにいるライフガードが溺者を発見し、みずから救助に行くときでも、ライフガードはプール側に設置された階段を降りてから水に入ることになっていた。タワーから飛び込むのは非常に危険なので厳禁である。しかし、慣れないうちは階段を踏み外したり、バランスを崩したりして階段の途中から落ちることもあった。
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第一発見者または救助者が溺者に到着するまでに要する時間は数十秒から最長1分。単管が鳴ってレストやパトロールが現場に着くまでの時間も1分程度だった。これを維持するため、毎月一回、公開終了後訓練をした。アルバイトなのにみな熱心だった。
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あってはならないことだが、溺者発生時のライフガードの動きはみごとであった。とりわけ夏場は勤務者が多いので、単管が鳴ると同時にコントロールカウンターや控室から次々と飛び出してくるライフガード達の姿にはファンができるほど精悍さがあった。
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このプールには常連さんも多く、単管が鳴りライフガードが飛び出して疾走するとプールサイドの人垣が割れるように道ができるときもあった。
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ちなみに、そのこととは無関係だが入場者の女性と仲良くなることは厳禁だった。
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一人前のライフガードとして勤務に就けるには、さらに場内放送の内容を覚えなければならない。そして、この場内放送にはそれぞれブロックサインが付いていた。
タワーが、場内放送が必要だと判断したときはタワーからコントロールへこのブロックサインで放送を要求する。
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日常的に使うサインと放送内容は限定的だが、勤務に就くには全部覚えなければならない。
「シャワーをお浴びください。プールに入る前には必ず頭の上から十分にシャワーをお浴びください。」という放送内容を求めるときは片手を頭の上にあげ指でシャワーの形を示すサインを使う。
「走り飛込みはおやめください。プールサイドを走って飛び込むと大変危険です。走り飛込みはおやめください。」という放送内容を求めるときは片手を監視台のアームレストの上でバウンドさせ走り飛込みの形を示す。そのようなものがたくさんあった。
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また、決まったサインとは別に「あ」、「い」、「う」、「え」、「お」を表すサインもありこれも覚えなければならなかった。夏場、ベビープールを担当するものは手だけを使った水鉄砲ができないとダメだ、とある先輩に言われ一所懸命練習した。だが、ウソだった。今でもできるので風呂に入ったとき遊んでいる。
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私が採用された翌年、新たな応募者がいた。後輩ができると思った。
しかし、職員が仕事内容の説明をし、放送内容を含むプールの概要を記載した冊子を渡すと、翌日これを返しに来た。私が入ったとき、筋肉質の先輩が、「続くといいね。頑張ってね。」と言った理由が分かるような気がした。
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このような職場環境の中でようやく一人前のライフガードとして一人でタワーに上る日が来た。
緊張していたが嬉しかった。泳げないために中学校の臨海学校を毎年欠席していた虚弱体質のぜんそく爺さんがライフガードになった。1972年の初夏だった。
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ひとつ強く記憶に残ることがあった。当時チーフだったOさんがタワーのときホイッスルが鋭く鳴りコントロールから「レスト一名!」の声がかかった。常に一番を目指していた私は真っ先にプールサイドに走り出た。
チーフは二番タワーにいる。タワーの正面に立つと、「そこにいる女性とまわりの男性をコントロールへ連れて行ってください。」との指示があった。一見二人連れかと思ったが女性の周辺には知人らしい男性が4~5名いた。
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ご同行をお願いすると、「なんだよ、うるせえなぁ~。」とかなり攻撃的であった。
(つづく)
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