ここまで8回も愚考卑見を曝してしまいました。
お付き合い下さり深く感謝申し上げます。
ありがとうございました。
「変なことを書いているな。」とあきれた人もいるでしょう。
「うん、そうだそうだ。」と共感してくださった人もいるのではないかと期待しています。
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どれほど「イジメをなくそう。」とスローガンを掲げても、関係者がまったく気づかないうちにイジメの原因をつくっている場合があります。
このことに気づかなければイジメは無くなりません。
ここまでに登場した、Bさんもその担任の先生も、そしてその後同じように消しゴムを借りに来たC、D、E、F、Gも自分自身がイジメにかかわっているとはまったく気づかないのかもしれません。
そして、C、D、E、F、G 他の内、一人でも意識的にA君が不快に感じていることに気づき、それを「おもしろい」と感じて、あるいはA君がなんでも言うことをきくと感じてしまうと凄惨なイジメにつながる危険が生じます。
この悲劇の連鎖の出発点が先生の「A君、意地悪をしないで貸してあげなさい。Bさんが困っているのだから。」という、一見ごく当たり前に聞こえる発言であったことは深刻に受けとめなければならないのだと思います。
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「『仲良くしなさい。』って言っちゃいけないならなんて言えばいいんだ。仲良くしなければケンカばかりになるではないか。」
ごもっともなご意見です。
大切なことは「仲良くしなさい。」との発言が結論しか言っていないことです。
小学生に「仲良くしなさい。」と伝えただけでその方法を伝えなければ小学生はどうやって仲良くすればよいか分かりません。
「仲良くしなさい。」は命令規範です。
そうではなく、「やってはいけないこと」を具体的にあらわす禁止規範を示す方がイジメを減らすことができるのではないかと愚考しております。
たとえば、「嫌がることをしてはいけません。」という禁止です。
このように申し上げると、すかさず出てくる反論が「相手が嫌がっているかどうかなんてわからない。」です。
そこで、「無理に他の人を誘ってはいけません。」という禁止も付け加えます。
さらに、最近街なかで目にするようになりましたが、「他の人をぶってはいけません。」や、さらに、「他の人の物を使ってはいけません。」、「他の人の物を壊してはいけません。」、「他の人の物を隠してはいけません。」、「他の人の悪口を言ってはいけません。」などです。
つまり他者を明らかに害する言動やその危険性のある言動を禁じるのですね。
「仲良くしましょう。」の後に、こうした具体的にやってはいけない行為を付け加える必要があると思います。
そうすることで子供たちには「仲良くしましょう。」の意味が伝わるのだと思います。
それでも、自分の感情や欲求、欲望をコントロールできずに他者を害する人がいます。
この場合には徹底した原因究明が必要です。
「学校なんだから『原因究明が必要』だなんて、警察みたいなことはできません。」という人もいます。
そうでしょうか。
この時点の原因究明が不十分な結果、人の生死につながる深刻なイジメが起きたらどうするのでしょうか。
複数の人を預かる指導者は常にこうしたことに鋭い感性をもって臨まなければならないと思います。
そして、この体制は集団生活が始まるできるだけ早い時期に構築しておかなければならないと感じています。
ここでいう早い時期は年齢だけでなく集団が形成される早い時期も含みます。
(つづく)
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