また一人将来有望な新人映画監督が現れた。清原惟(36)。濱口竜介と同じ芸大大学院出身という芸術エリート、目ざとい海外メディアからもすでに注目されているようで、ベルリン国際映画祭などにもお呼ばれしているようだ。ゆるーいシスターフッドが特徴の作風は、ケリー・ライカートと比較される方も多いとか。同じく新人女流映画監督として注目を浴びている山中瑶子。その経験の少なさを危惧されて業界の映画ゴロにああだこうだと説教されながら撮った時の山中の心境が、『ナミビアの砂漠』に顕著に表れていた。
そこへいくと今回清原惟の周りに集まった映画スタッフは、清原の才能を認めながら伸ばしてくれそうないい感じの仲間だったような気がする。映画冒頭、劇伴を担当したジョンのサンメンバーの練習風景をそのままオープニングに使うという大胆不敵な演出。劇中、ミニマムミュージックと電子ピコピコサウンドが合わさったような心地よい響きを聴かせてもらえるのだが、人工的というよりは昔からあるようなどこか懐かしい気持ちにさせられる、不思議なサウンドなのである。ケリー・ライカート作品にも人工的な効果音が印象的なシーンで使われているのだが、清原の場合とは真逆に観客の不安感をひたすらあおるのである。
元々、廃旅館を舞台にするつもりのシナリオがコロナ禍で設定変更を余儀なくされ、昨今の人口減少で廃墟へと近づきつつある“多摩ニュータウン”が舞台のシナリオに書き直したという。確か、中村義洋監督の『みさなん、さようなら』(13)でも過疎化した団地が舞台になっていたが、あれから10年の月日がたち、多摩ニュータウンはもはやゴーストタウンと化している。その近隣に住んでいる3人の女性を徒歩や自転車で移動させながら、過疎化した団地の現況、そして縄文時代の昔からこの土地に刻まれてきたホモサピエンスの記憶を、時空をこえて重層的に見つめ直そうとした意欲作なのだろう。
見上愛演じる(大学に通うのを辞めてしまった)女子大生の彼氏がその昔事故か何かで死んでしまったようなのだが、その彼氏が生きている時に花火に興じた風景を、なぜか団地内の空地を偶然通りかかった(着物会社をリストラされた)独身オバサンが見つめるのだ。ガス検針の女は、迷子になった認知症老人の昔の住居が今は空き家となっているはずなのに、そこでいまだに動き続けているメーター針を発見する。その検針女の彼である写真屋の店員は、その昔女子大生の彼氏が撮った花火のネガを倉庫で発見、現像する。
といった具合に、ストーリーらしきストーリーが存在しないのも今風で、団地界隈に住む3人の女性の1日はけっして交わることなく“パラレル”のままなのだが、時間を遡るとそこでゆるーく繋がっている構造が一つの魅力となっている。芸大卒業課題として清原が撮った『わたしたちの家』(未見)もこのパラレルワールドを扱っているらしく、今現在清原自身が拘っている映画テーマでもあるのだろう。女子大生が友だちと多摩縄文記念館を訪れた時に聴く“太古の鈴音”、検針員が帰宅途中に買ったマグカップを持ち上げた時になる懐かしの“昭和メロディ”、ジョンのサンのエレクトロニック・ポップ・サウンドと共に、ここではないどこか不思議な空間へと観客を誘うのであった。
すべての夜を思い出す
監督 清原 惟(2022年)
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