一冊の辞書を出版するのに15年以上の年月がかかる辞書編集にスポットライトをあてたお仕事ムービー。原作者はベストセラー作家の三浦しをん。矢口史靖監督『ウッドジョブ』の原作者でもある三浦はそこで、植樹してから材木として斬り倒すまで100年以上の歳月を要する林業にスポットをあてていた。おそらく作家は、次の世代へと技術やノウハウを伝えていかなければ成立しない“仕事”に共通する何かを描きたかったのではあるまいか。タイパを重要視する現代社会においては、若者に最も敬遠されがちなガラパゴスな職種ではあるけれど、長い歳月をかけて仕事に携わった人々のさまざまな思いの結晶でもある商品には、他人が真似することのできないクォリティが生まれるはずなのである。
1983生まれの若手監督石井裕也のタッチはハッキリいって好きではない。まさにコスパやタイパを優先させる要領の良さが目立つ粗雑な作りにどうも共感がわかないのだ。だがどうだろう。玄武出版の辞書編集室や主人公馬締(松田龍平)の下宿先セットの作り込みは、職人仕込みのクオリティの高さを感じるのである。SDGsをコンセプトに盛り込む作品で知られる原田満生による美術をはじめ、今回配給元となった松竹のバックアップがいい意味で働いたからに相違ない。厳しい言い方にはなるが、石井監督のインスタントな作家性を発揮する場面など今回ほとんどなかったように思えるのだ。積み重ねられた歳月の重みの前におそらく沈黙するしかなかったのではないか。
映画のリズムも作品の内容に合わせて実に緩やかに撮られており、辞書監修松本先生役の加藤剛やその妻役八千草薫のゆったりとした台詞回しも浮くことはなく、松田龍平や宮﨑あおいの主役クラスに、オダジョーや小林薫の脇役陣にいたるまで、スローテンポを心がけた演技に統一されていたのは、はたして石井監督の狙い通りだったのだろうか。アニメ制作の現場をスピーディーなバトルタッチで描いた『ハケンアニメ』の真逆をいく演出といってもよいだろう。毎週毎週視聴率を気にかけながらの徹夜作業とは違って、今までかけた15年という歳月の重みがあったからこそ、ピンチの際にアルバイトに快く徹夜作業させることができた、そんなシナリオなのである。
やがて監修の松本先生が亡くなった頃、3代目にあたる馬締の手で「大渡海」初版はようやく完成し出版の産声をあげる。大海原に漕ぎ出そうとしている一艘の舟=辞書にたまたま乗り合わせた大勢の出版人たち。その繋がりによる一大プロジェクトは、利益を産み出さなければならないビジネスの掟によって一旦は難破しかけるけれど、奇跡的に一命をとりとめるのである。前任者の荒木が見込んだ馬締の生真面目さがその奇跡を呼んだのか、それともかぐや姫が自分をみつけてくれたお礼に竹取りの翁にかけた魔法だったのだろうか。最近の邦画には珍しい、長期に渡る“歳月の重み”をテーマにした1本である。
舟を編む
監督 石井裕也(2013年)
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