ワン・シチュエーションの会話劇は、ペヤンヌマキ原作の戯曲を映画化した作品だそうです。どうも会話の切れ間に(観客を意識した)演劇的なタメを感じると思ったら、そういうことだったらしいのです。9年ぶりにメガホンをにぎった橋口亮輔監督も、あえてその“間”を正さずに原作そのままの雰囲気で演出している気がするのです。“戯曲”が原作である点が、本作にとってとても重要な要素であることを橋口監督はよくご存知なのでしょう。
長女の弥生(江口のりこ)は優等生だが2人の妹に比べて自分が不細工だというコンプレックスを抱いているキャリアウーマン。逆に次女の愛美(内田慈)は弥生に劣等感を持っていて、不倫にはまった挙げ句いまだ独身です。三女の清美(古川琴音)は、なんとフィアンセのタカヒロを内緒で宿に呼んでサプライズ婚約発表しようとするのですが、今までと同様姉2人に邪魔され激しい口論の末、フィアンセを宿から追い出してしまいます。
この登場人物相関を見れば一目瞭然、ウディ・アレン監督の『ハンナとその姉妹』や向田邦子原作の『阿修羅のごとく』同様、アントン・チェーホフの超有名な戯曲『三人姉妹』をベースした作品であることは間違いないでしょう。この『三人姉妹』が後世の国内外ホームドラマに与えた影響の大きさははかりしれない気がします。3人(または4人)姉妹のなじり合いから、社会の世相を浮かび上がらせる帰納演出に何ともいえない普遍性を感じるからです。いつの時代だって結婚は女の一大事、同性婚を認める認めないで大騒ぎしている現代日本だって例外ではないのです。
3人の姉妹が母の誕生日を祝うため温泉宿に宿泊する一晩を描いているのですが、この映画肝心要の“母親”が一度も姿を現さないのです。送迎車の中でその影がチラッと映る程度で、後は自分の部屋に籠りっぱなし、娘たちが喧々諤々の口論をおっぱじめる宿の部屋には決して足を踏み入れないのです。この文句ばっかりで嫌味な母親のせいで、結婚生活に希望を持つことができず、3人姉妹は未だ誰一人として結婚できていないのです。“母親不在→母親になれない→結婚できない”女たちのドラマと言い換えてもよいでしょう。
「私が結婚できないのはお母さんのせいよ」なんて、この映画の江口のりこのように愚痴ってはビールをラッパ飲みしている女性の皆さん、実は結構多いのではないですか。姉2人が嫁き遅れている状況でうかうかしていると私も...なんて焦って男のハードルを思いっきり下げちゃってるあなたも、ここはひとまず温泉の綺麗な湯にドップリと浸かって、今までのしがらみを綺麗サッパリ“水に流して”はいかがでしょうか。
ほら、本人を前にしたらあんなに言いにくかった感謝の言葉も、すんなり口をついて出てくるかもしれません。夫婦水入らずとは言いますが、水よりも濃い血で繋がっている親子や姉妹の場合、多分そういうわけにもいかないのでしょう。帰りの電車の中ではすっかり湯冷めした女たちは、やれ浴場が狭い、お湯がぬるい、ご飯がイマイチ、三女のフィアンセの悪口なんかで、また罵り合いをはじめるのかもしれません。最後は、母親どころか三姉妹の姿さえスクリーンから消えてしまうのです。それをゲイの監督が演出しているのですから、意味深ですよね。
お母さんが一緒
監督 橋口亮輔(2024年)
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