ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

象は静かに座っている

2019年11月04日 | 映画館で見たばっかり篇



234分。こんなに長時間映画館に缶詰めになったのは、『ファニーとアレクサンドル』のリバイバル上映以来。途中インターミッションが入らない訳ありのぶっとうし作品なので、トイレは上映開始前に必ず済ましておくことをお勧めする。しかし、私のように途中○○○で数分途中退席してもさほど影響を受けない退屈なシナリオに、開始早々鼾がそこかしこで鳴り響いたのも頷ける冗長な長回しが特徴ともいえる1本だ。

この映画、プロデューサーサイドの意向で編集し直した2時間バージョンと、私が劇場で観賞した4時間バージョンの2パターンがあるらしい。(ハリウッドではよく見聞きする)ファイナルカットをめぐるイザコザで新人監督のフー・ボーが自殺してしまったことが、映画の内容よりも本作が注目を集めた一因になっているようなのだ。次世代携帯電話の5Gや量子コンピューター分野でアメリカの牙城を狙っている中国の粗捜しに躍起になっている意向が働いたせいなのかはわからないが、本作はベルリン映画祭でもなんちゃら賞を受賞している。

中国側もそれに負けじとディレクターズ・カットの4時間バージョンを配給。西側の動きを牽制しながら、新人映画監督の自殺という話題性を逆手にとった商売上手なプロモーション戦略に切り替えてきたのかもしれない。とにかくダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』を思わせる登場人物の背中をハンディで追っかけた長回しがいたるところで多用されていて、それ以外これといった演出がほとんどといって見当たらない。上映時間もさることながら、トイレ退席&居眠り観客の続出を招いた原因は本作の演出不足につきるのである。

中国の地方都市で希望を失った老若男女の人生交錯を描いているのであるが、登場人物が経験する貧困地獄など格差社会と化した我が日本でも日常茶飯事であり、特段目新しくもなんともないのである。“クズ”人間や“ゴミ”人間であふれかえった本作で描かれる中国を見ていると、その腐敗ぶりがようやく西側に追いついてきたのかなぁという感じがする。作りかけの建造物が放置されたままのまるで被災したかのような荒れ果てた中国の光景は、日本の我々下級国民の心象風景と妙にマッチングするのである。

従兄弟の嫁さんと浮気中、家に戻ってきた従兄弟が自殺する様子を横目で見ていたユー・チャン。賄賂受取がバレてクビになった父親から家を追い出されたブーは、いじめッ子であるユーの弟を事故死させてしまう。教師との援交がばれたリンは、水商売の母親から自分の客と寝るよう迫られ口論の末家出。娘親子と同居するジンは、かわいがっていた犬が死に老人ホームへと追いやられる。そんな人生に絶望しきった4人に残された唯一の希望が、世間の動きを無視するようにただ静かに座っているだけの象がいると噂される満千里に向かうことだった…

金持ち夫婦が飼っていた迷子の白犬や、リンと教師が待ち合わせに使った喫茶店における(クリストファー・ノーランを思わせる)クロス・カッティングなどをもっと上手く使えば、4人の接点に必然性が生まれたのかもしれない。しかし、何といっても新人監督の自殺を利用した映画プロモーションが本作の後味を限りなく悪くしている。エンディングにおける○の雄叫びも、ブーたちの希望というよりは、金儲けに走った映画プロデューサーや人心がすさみきった中国に向けられたゆとり世代のフー・ボー監督の“怒り”のように聞こえるのだ。

象は静かに座っている
監督フー・ボー(2018年)
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