ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

聖闘士星矢 The Beginning

2024年03月11日 | ネタバレなし批評篇

爆死である。アマプラでの配信がやけに早いなあと思っていたら、興業収入は製作費のなんと1割ちょっと。本作の続編も真剣佑のハリウッド進出も、ほぼ絶望的といっても過言ではないだろう。何がダメだったのだろう。YouTubeで観てみるとわかるのだが、この映画“Beginning”のタイトルが示すとおり、聖闘士星矢のアニメーション第1話をほぼ忠実に踏襲している。真剣佑以外の登場人物が外国人となり、原作にはない星矢のシスコン要素や、沙織ことアテナと星矢のラブストーリーなどが盛り込まれ“フェミニズム”に配慮した演出がなされているのである。

車田正美原作のファンならば、この物語がギリシャ神話をベースに作られていることはデフォルト中のデフォルトであろう。実業家池田光政が複数の女性と交わってこさえた子供たち、それが聖闘士なのである。つまり本作にも登場するフェニックス一輝的なヴィランと星矢は本来異母兄弟でなければならないのだ。なぜなら、劇中のショーン・ビーンは原作コミックではゼウスをモチーフにした人物で、そこら中で人間の女性と浮気しまくって隠し子をたくさんもうけているからである。ちなみにアテナは、自分の子を身ごもった女神を飲み込んだゼウスの頭部から誕生する、れっきとしたオリンポス十二神のうちの一人である。

星矢がアテナを「お嬢さま」と呼んでアテナにどつかれるシーンがあるのだが、まだまだジェンダー意識の低い日本人青年が、フェミニストの権化のようなアメリカン女子に“誤り”を訂正される重要な場面といえるだろう。“少年愛”が日常化していた古代ギリシャにおける男性中心主義をベースにした世界観が、そのミソジニー的要素をことごとく剥ぎ取られ現代のダイバーシティに適応するよう去勢された作品、それが『聖闘士星矢 The Beginning』なのである。ゼウスことショーン・ビーンが“雷霆”ではなく爆弾で(映画同様)自爆する様は、まさにその象徴といえるのではないだろうか。

原作コミックにも登場する星矢の師匠であるマリンさん(女性)は、なぜ🎭️をかぶっていたのだろうか?識者にいわせると、古代ギリシャで戦争に関わるのは男性のみという不文律があり、星矢に戦い方を伝授するためには“女であることを捨てなければならない”、それゆえの🎭️だそうなのである。そんなフェミニストの方が聞いたら卒倒しそうな、男女差別がまかり通っているギリシャ神話的世界観と、ホモソーシャリズム的異母兄弟たちの一致団結。それが『聖闘士星矢』の特異な魅力といえるのだ。現代のアメリカ人に受け入れられるわけないのである。


聖闘士星矢 The Beginning
監督 トメック・バギングスキー(2023年)
オススメ度[]

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 8月の家族たち | トップ | パリタクシー »
最新の画像もっと見る