監督自らネタバレしている映画というのも珍しい。「浮気相手から妊娠中の妻のもとに戻るまでを潜在意識の視点から描いた」作品だそうなのだ。つまり浮気している大学教授アダムは、売れない三流役者アンソニーの潜在意識が生み出した別人格ということになる。通常、気の弱い歴史学教授の方を表の人格、冒険好きなバイク野郎を裏の人格として描くところを、本作ではその逆をいっているため観客にとっては非常に分かりにくい設定となっているのだ。映画冒頭と中盤、ラストに登場する蜘蛛については、夫や息子を束縛抑圧する母性のメタファーだとする映画ライター諸氏の分析も当たっていると思う。
映画監督というのは自分の作品に関してのネタバレは(興業的に考えても)厳に慎むものなのだが、本作についてのインタビューに気前よくぺらぺらとしゃべりまくっているヴィルヌーヴ。おそらく関係者に公開前に配られる資料の中に、映画の内容に関してかなり突っ込んだことが書かれていたのではあるまいか。普段映画の提灯記事しか書かないような自称映画ライターのみなさんも、作品に隠された謎に対する答えをさも自分で見つけましたみたいなノリで、(不思議なことに)どれも似たような分析をかましているからだ。言い換えれば、映画の謎解き自体に大した意味がないということなのかもしれない。
映画監督は究極的には自分のことしか描けないというが、主人公のアダムとアンソニーを一人二役で演じたジェイク・ギレンホールが本作についてのインタビューに応えて面白いことを言っていたのでご紹介する。「この映画はヴィルヌーヴ本人のことを描いている」と言うのだ。確かに彼が監督した映画の中には、過去の映画や古典文学、芸術一般からの引用を数多く発見することができ、その意味では複製された映画監督という形容も一部あてはまるのかもしれない。が、ジェイクの発言にはまた別の意味が含まれているように思えるのだ。
本作と同時期に撮影された『プリズナーズ』やメジャーデビュー作『灼熱の魂』、メキシコ麻薬戦争を描いた『ボーダーライン』は、加害者と被害者あるいは当事者と傍観者(の入れ替わり)といった二項対立的要素が鮮明に浮かびあがる作品となっている。また父性がクローズアップされた作品群としてはその『プリズナーズ』や直近の『ブレードランナー2049』、その対局にある母性を描いた作品としては本作は勿論、『灼熱の魂』や『メッセージ』を上げることができるだろう。ヴィルヌーヴ自身の発言によると、同じ“レプリカント”を描いたという意味で本作はリドリー・スコットの『ブレードランナー』の影響をかなり受けているという。
対極に位置する映画のテーマ性もさることながら、(クリストファー・ノーランのように)ブロックバスターを撮る監督になるのか、それとも自身本当に撮りたいと願っている映画の中に作家性を追い求めるのか。相反する立場に追い込まれながらも常に二極のバランスをうまくとろうとする映画監督、それがドゥニ・ヴィルヌーヴであると。かたや「カオスとは未整理の秩序である」なんつうことを真顔で語るインテリ大学教授、かたや奥さん似の金髪美女を後ろからこちょこちょするドスケベ役者。どちらが真の顔かはわからないが、ファンとしてはヴィルヌーヴにはこれからも車のワイパーのように大いにふれまくってほしいと願うのである。1粒で2度楽しめる映画監督なんて滅多にお目にかかれませんからね。
複製された男
監督 ドゥニ・ヴィルヌーブ(2013年)
[オススメ度 ]