ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

冬の旅

2024年03月15日 | なつかシネマ篇

世捨人度数を5点満点で評価するとすれば、本作の主人公18歳のモナ(サンドリーヌ・ボネール)は“3”といったところだろうか。いきあたりばったりの成り行き旅、時たまバイトの真似事のようなことをして小銭を稼いだりするものの、すぐにほおりだして逃げ出してしまう。葉っぱとワインと時々男。宿が確保できなければテントで野宿、運が良ければ廃墟に忍び込んでゆきずりの男と××だ。そんなモナと道中知り合った女たちは、モナに一泊の宿や食物を提供し「(モナが)自由で羨ましい」と語るのだが、男たちは至って批判的。“汚い”、“臭い”、“現実逃避だ”、“仕事をしろ”とモナの若い肉体は求めるものの、その自由な精神を評価するものは誰もいないのである。

私はこういう映画を観ると、なぜかショーン・ペンが監督した『イントゥ・ザ・ワイルド』を必ず思い出す。何もない荒野に放置されたバスの中で完全自給自足生活にチャレンジするも、食中毒であえなくのたれ死にしてしまう青年のお話だ。この青年の世捨人度数を“5”とすれば、『足跡をかき消して』の病んだ父ちゃんは“4”、『PERFECT DAYS』の平山は“2”といったところだろうか。人間腹に何かいれなければ間違いなく飢え死ぬわけで、仏教の修行僧が托鉢に回るのも、悟りに到達するためには他人の慈悲にある程度すがるしかないからなのである。本作のモナのように「人に嫌われたって気にしないの」なんて態度をとっていれば、最後あんなことになるのは必然だったのである。

ヌーベルバーグの左岸派に属するアニエス・ヴァルダは、男社会に媚を売ろうとしないモナのフェミニスト的生き方に共感を示しつつも、完全に孤立するのはダメよと我々に釘をさすのである。モナを農場に泊めてあげた元ヒッピーらしき羊飼いから「自由を求めすぎると孤独になる。孤独は肉体を蝕む。長生きしたけりゃ旅はやめろ」と警告を受けるのだが、モナはまったく意に返そうとしない。その男の警告通りモナは次第に身体の調子を崩していき、たどり着いた凍てつくブドウ畑の真ん中で、一人寂しく凍死してしまうのである。

ヴァルダの分身と思わしき、スズカケの木に感染するバイ菌の研究をしている女教授が登場する。モナをヒッチハイクでのせてあげたらそのままモナが車から出なくなってしまうシークエンスは、ヴァルダが実際に経験した出来事だったそうな。その女教授の台詞。「菌を持ち込んだのは米軍兵士だったことがわかったの」つまり、アメリカのヒッピー文化に端を発する“自由”という名のバイ菌がフランスの若者たちに感染し、葉っぱや飲酒に溺れ身を滅ぼしていく様を、ヴァルダは朽ち果てていくスズカケの木に例えたのではないだろうか。

映画冒頭に写し出された、田園の丘に寄り添うように立っている2本のズズカケが、ヴァルダとその夫ジャック・ドゥミに見えたのは、私の気のせいだろうか。一度は別居したものの、ドゥミの病状悪化(エイズ)を機にまたよりを戻したヴァルダの生きざまが反映されたショットとはいえないだろうか。フェミニズム運動も結構だけれど、男を完全に否定して女だけで孤立するのはどうなのかしら。その内、バイ菌(自由)をうつされて斬り倒されるのが落ちよ。モナが孤独という寒さに震え、薄い毛布にくるまりながら息絶えていったようにね。

冬の旅
監督 アニエス・ヴァルダ(1985年)
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