ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

すべての、白いものたちの

2024年10月20日 | 映画評じゃないけど篇

「ノーベル文学賞の連絡があった時はいたずら電話かと思った」息子と2人晩ご飯を食べている時の出来事だったという。『菜食主義者』がブッカー国際賞を受賞、本作も2度目のブッカー賞候補にあがったハン・ガンではあるが、“まさかこの私が”という思いがあったに違いない。ハルキムラカミの後輩にあたる多和田葉子が同賞の有力候補にあがっていた日本の出版業界もハン・ガンについてはほぼノーマーク、amazonがあわてて電子書籍版を用意する程で、紙の本はもともと在庫薄で、どこを探してもみつからない品切れ状態だ。

今年のノーベル賞、自然科学分野や経済学の受賞者はほぼ“AI”関係一色といっても過言ではなく、それ以外では、我が国の核保有に反対する勢力がやらせで日本の被団協に平和賞を贈らせたくらい。そこへゆくとこの文学賞、政治的な利益優先の圧力とはほぼ無縁の、独立性が保持されている数少ない分野といえるだろう。アジア人女性で初めてノーベル文学賞を受賞した理由は、「歴史的トラウマに立ち向かい、人間の命のはかなさをあらわにした強烈な詩的散文」なのだそう。

わずか114ページの散文詩といってもいいフォトエッセイ集である本作は、数時間でさらりと読めてしまうほどの内容だ。反出生主義者たちが広めた“フェミニズム”の人工甘味を感じなくもないのだが、シスターフッドのお相手が、なんと産まれてから2時間しか生きられずに死んでしまった作家のお姉さんなのである。ここにこのハン・ガン独自のエッセンスを感じるのである。休暇療養のために訪れたワルシャワで、ナチスの爆撃から再生した真新しい町並みを見て、本作を“書かなくては”と思い立ったらしいのだ。

すでに死んでしまったお姉さんを再生するためには、自らの生と肉体を貸与してそこに姉の魂を憑依させるしかない、と思ったらしいのである。韓国では有名な大作家先生であるらしい父親、そして公には一切明らかにされていない息子の父親=旦那さんについてはけっこう辛辣だ。最も弱っている(最も助けを必要としている)時に、私もしくは彼女(姉)を捨てるようなしょうもない利己主義者、と作家が思っているような節があるのだ。

つまり、家父長制度に胡座をかいた役立たずの男たちに頼るぐらいなら、死んだ姉の魂と“生”を分かち合うほうがまだましである。その“生”は何者にも損なわれず汚されることのない“ヒン(白色)”なる存在なのだ、と信じるしかないではないか。男性優位の韓国社会、あるいは、金持ち(反出生主義)と貧乏人(出生主義)がひたすらいがみ合い永久に殺し合いをやめられない男世界に絶望した一人のアジア人女性が見出したエスケープゾーン。それが、生と死の境界にぽっかりと産まれた“白いもの”だったのではないか。たとえこの世にたった2時間しか存在できなかったとしても。

すべての、白いものたちの
著者 ハン・ガン(河出書房)
オススメ度[]


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