ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ハンナとその姉妹

2024年10月27日 | なつかシネマ篇


オルコットの『若草物語』、ベルイマンの『叫びとささやき』、子供の頃欠かさず見ていたNHK子供向けドラマ=ローラ・インガルス・ワイルダー原作『大草原の小さな家』なんかもすべて、チェーホフ四大戯曲の一つあげられる『三人姉妹』をベースにしているらしい。ブロードウェイをこよなく愛するNY在住の映画監督ウディ・アレンが、その古典戯曲を現代劇に置き換えたお洒落ーなラブ・コメディである。

長女ハンナ(ミア・ファーロウ)は元舞台女優のしっかり者、人には惜しげもなく与えるが人には何も求めない自立した女性。次女ホーリー(ダイアン・ウィースト)は、姉と同じ舞台女優を目指しながら受かりもしないオーディションに応募し続け、転々と職を変えている移り気な独身女性だ。三女リー(バーバラ・ハーシー)は高尚な芸術を理解できるインテリながら、姉二人を見て現実に希望を抱けず、愛のない芸術家(マックス・フォン・シドー)との結婚生活をダラダラと続けている。

言うまでもなく、ハンナ→オリガ、ホーリー→マーシャ、リー→イリーナをトレースしているのは確かなのだが、脳腫瘍におかされているという妄想につきまとわれている神経症のハンナの元旦那ミッキー役で登場するウディ・アレンは、おそらく本作に別の意味を与えている。くしくも直近作品『サン・セバスティアンへ、ようこそ』でもテーマになっていた「人生に意味はあるのか」で、このミッキーに病的ともいえるほど思いっきり悩ませているのである。

精密検査によって晴れて健康であることがわかったミッキーは、「どうせ死ぬのに生きることに意味はないのではないか」という疑問を逆に抱き始めるのである。ユダヤ教からカソリック、はてはヒンズーへと宗教にすがっても神なきこの世に答えを見出だすことができず、ミッキーはとうとう自殺を考える。辛くも自殺を思い止まったミッキーは、偶然入った映画館で上映されていたマルクス兄弟のスラップスティック・コメディを見て、一度きりの人生をせめて満喫して終わらせたいと願うのである。

そんなミッキーは、離婚したハンナに紹介された妹ホーリーと最悪のデートを過去にしていながらも、再会時に恋に落ち結婚。一時はリーにのぼせ上がったハンナの現旦那エリオット(マイケル・ケイン)だが、リーと浮気をしたせいで逆にハンナの素晴らしさに気づき、めでたく元サヤにおさまる。芸術家と離婚後、通っていた大学で新しい彼氏を見つけたリーも幸せそうだ。ウディ・アレンは、この三姉妹を合わせ鏡にして、お相手のエリオットとミッキーに人生の意味を探させようとしたのではあるまいか。

チェーホフの三姉妹(オリガ、マーシャ、イリーナ)を、それぞれ公の自分、本当の自分、本当の自分だと思っている自分に例えるフロイト信奉者もいるらしい。ということは、ウディ・アレンの分身であるミッキーが恋に落ちたダメダメ女ホーリーこそが、本当の自分に気づいている等身大の女性であったのではあるまいか。実像よりも自分を大きくみせるカマラ・ハリスでもなく、かといって、自分を卑下するあまり現実世界に踏み出せないブリジット・ジョーンズでもない、ありのままの女性を愛したのではないか。

直近の『サン・セバスティアンへ、...』では、無意味な人生の空虚さを映画作りで埋めようとするウディ・アレンの姿勢が現れていたが、30数年前の本作では、ダメダメな部分をあえて隠そうとしない自然体の女性への恋愛によって主人公は自己否定から救われる。“シシューポスの神”の如く人は無意味な人生を繰り返すというけれど、大岩を山頂に持ち上げることに意味はなくとも、その一見無駄な行為によって身に付いた忍耐力や、自己を含めた弱き者を愛する慈悲心にこそ意味があるのではないか、と思うのである。だからこそ神は最後、このダメダメカップルに微笑んだのだろう。

ハンナとその姉妹
監督 ウディ・アレン(1986年)
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