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アマプラで無料公開されていたベルイマンの初期3作品をたまたま再見したばっかりだったので、そのうち2作品(『野いちご』『七つの封印』)がウディ・アレンの最新作でまんまオマージュ作品として使われていたのにはビックリ。他の映画監督が撮った名作にオマージュを捧げたウディ作品は過去にも何本か見たことがあるのたが、映画のワンシーンをまんまコピぺしたような分かりやすい演出を見たのは本作がはじめてだ。ウディ・アレンの中に何かしら心境の変化があったようなので、それを探ってみたいと思ったのである。
大学で映画学を教えていたこともある小説家モート・リフキン(ウォーレス・ショーン)は、映画の広報を仕事にしているスー(ジーナ・ガーション)と共にサン・セバスティアン映画祭に招かれる。メディアから脚光を浴びている若手映画監督フィリップ(ルイ・ガレル)を担当しているスーはフィリップにベッタリで、2人は不倫関係に。心臓に異変を感じたモートは知人の紹介で美しい女医ジョーと知り合うのだが....
美しい海岸リゾートの街サン・セバスティアンで、ことあるごとにウディ・アレンの分身であるモートは白黒の夢を見るのだが、これがオールドファンならば一度は見たことのある超有名な映画のワンシーンにそっくりなのだ。当然ウディならではのパロディに仕立て直してあるのだけれど、シネフィルの皆さんが見るとしらけてしまうほど分かりやすい。ネタ探しの面白さが半減してしまっているのである。
ラスト、スーに離婚を告げられたモートは絶望し、『七つの封印』の死神に扮した◯◯◯◯wとチェスをする夢をみる。「私は俗物なのに高尚をひけらかした。皆が嫌がってるのも気づけずに」まるで、オマージュ元を安易に悟らせまいとする過去作の演出に対する反省をこめたウディ自身の述懐のようだ。そして空虚な心を埋める方法を死神から伝授される。「労働、家庭、愛。どれもくだらないけどな」元々無意味で空虚な人生になにかしら意味を与えること、それは映画監督ウディ・アレンがこの世に存在する意義だったのではないだろうか。
私は思うのである。これぐらい分かりやすくしないと、特に若い世代からますます芸術系の映画が毛嫌いされてしまうのではないだろうか、と。“神の沈黙”たって何のことやらさっぱりな若者にとって、ちょっとでも上から目線で語ろうものなら、すぐに遠ざけられて誰も見向きもしない。ならば作り手のほうが一歩階段を降りて観客に近づけばいい。“低俗”ではあるけれど空虚な人生の時間を一時満たしてくれる。それが映画本来の存在する意味なのかもしれないからだ。
サン・セバスティアンへ、ようこそ
監督 ウディ・アレン(2020年)
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