ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ディアスポラ

2018年07月30日 | 映画評じゃないけど篇


SF界の巨匠ロバート・A・ハインラインは「過去や現在の現実社会や、科学的手法の性質と重要性の十分な知識に基づいた、可能な未来の出来事に関する現実的な推測」(ウィキペディアより)と、SFを定義づけた。

短編では字数制限があってまだ耐えられた難行パートが本長編では大幅拡充されており、生半可な知識ではとてもとても歯が立たない作品になっている。「読み飛ばせ」と殺生なことをおっしゃる大森望氏のような方もいっらしゃるが、商業主義の真逆をいくような科学考証になぜイーガンはここまでこだわるのだろう。

そんな超難解部分を読み飛ばせば、ガンマ線バーストなどため息ほどにしか感じられないコア・バーストによる人類全滅をさけるため、別宇宙にいるとおぼしき異星生命体トランスミューターを、非肉体クローンが追いかけるだけ?の割と単純なストーリー。

しかし、冒頭のAI孤児誕生プロセスにはじまり、万物理論にいたる(架空の)コズチ理論、そしてU✳=並行宇宙=マクロ球のトポロジー的記述など、なみのSF作家ならばさらりと流すであろう科学的考証を、(たとえ作家の空想にすぎないとしても)あくまでも厳密にかつ正確に演繹していくイーガンなのだ。

それは、単なる自負とも拒絶とも欺瞞とも異なる、トップランナーとしての責任感から自らに課している“行”のようなものではないのか。当然のごとく一般読者からは敬遠され、けっして「わからない」とは言えない余多の評論家もあえて取り上げない∴当代一のSF作家と評されながら本の売上もパッとせず、必然的に映画化のお声もかからない。

が、コアなファンのブログを拝見すると、ハインラインの教えを忠実になぞったこの難解パートこそイーガン作品の真髄であり、落涙するほどに感動するらしい(どこが?)。そこを「読み飛ばす」などとは言語道断、私のように1行いな1プランク・スケールも理解できなくとも、うんうん唸りながら兎に角読み通す姿勢を見せることが、この作家に対するせめてもの礼節だと思うのである。

旧ビッグ3の一人アシモフが主張した“センス・オブ・ワンダー”のアイデア開発にばかりに入れ揚げて、肝心要の科学的考証を疎かにしている現代のSF作家たちや、ググりさえすればプロセスをすっ飛ばしてこの世の全てを把握できると勘違している一般読者に対する、いわば戒めであり警鐘のような気がするのだ。要するに「SFなめんなよ」と言っているのである。

「どうせフィクションなんだから、誰も興味を示さない科学考証説明なんか省いて、デフォルトから始めればイーガン?」派がほとんどのSF界において、愚直なまでの俺流を貫き通すグレッグ・イーガン。その原動力となる不変値=アイデンティティーが他ならぬ“数学”愛であることを本書は最後に教えてくれている。イーガンは1日にしてならないのだ。

ディアスポラ(ハヤカワ文庫SF)
著者 グレッグ・イーガン
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