連続大河ブログ 原付旅 外伝
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古都奈良編
奈良の大仏!座っているのに建てられての巻
さて、前回は東大寺の修二会で読み上げられている神名帳の話で東大寺が神仏習合の始まりの地って話でした。ただ読み上げられているだけでは、神仏習合とは言い難いですよね。いえいえ、いろんな思いのもとでそうなったのです。今回は大仏建立の経緯の話です。
奈良の大仏!座っているのに建てられての巻
さてさて、ここまで日本最古の道の一つ「山の辺の道」を石上神宮から始まり一旦三輪山まで南下して再び北上、春日大社、若草山、そして東大寺二月堂まで来ました。

奈良と言えば東大寺の大仏ですが、この大仏建立こそが神仏習合の始まりです。廃仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏との対立、そして蘇我氏の勝利により神の子である天皇が仏を崇拝することに、そして豪族達はそれぞれに自分達の氏寺を建てる様になります。

しかし聖武天皇は釈迦牟尼仏陀の教えを民衆に伝え、仏教によるより良い国家建設を願い大仏の建立を決めたそうです。当時は飢饉、地震、天然痘、国内の争い事も多々あり社会は不安定でした。そんな中、天皇自身も幼い皇太子を亡くし失意の元にいました。そこで仏を目に見える形で表そうと決めたのです。
が、天皇が沢山の費用をつかって建立したのでは貴族達よりどのような反対意見が出るかを気にかけました。
大仏本体だけでも銅499トン、スズ8.5トン、金400キロ、水銀2.4トンもの資材が使用されました。

そこで現在の九州大分の宇佐八幡宮の八幡神より信託がありました。「天の神と地の神を率いて、そして我が身を投げうって協力しよう、そうすれば建立は必ず成功となる。」
聖武天皇が出した「盧舎那仏造顕の詔(るしゃなぶつぞうけんのみことのり)」には「一本の枝でも一握りの土でも持ち寄り、大仏づくりを手伝いたい人がいれば手伝ってもらう」とあります。大きな力では無く、小さな力を沢山合わせて神道の神々と天皇と民衆が力を合わせて建立されたそうです。当時の日本の人口の半分に当たる延べ260万人の人々が参加したそうです。ですから日本人であれば全員ご先祖様が奈良の大仏建造に参加されているって事になりますね。
次回 南大門と金剛力士阿吽と会うんの巻
ここまで読んでくださった方の願い事が叶います様に…」
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