連続大河ブログ 原付旅
レイラインポイントコンプリートの旅
雨の大阪城の巻
さて、前回までは高校卒業後の大阪の調理師学校時代の思い出話、色々悔い(杭)を残してきたり、誰かに話したい面白エピソードのお話し!タイム原付旅大阪編でした。
また思い出したら、記事にしますね!
雨の大阪城の巻
さてさて、今回は久しぶりに旅を進めます。第二次原付旅最終日再スタートです!
早朝6:30、雨の中大阪の思い出の地を駆け抜けます!その後は京都、滋賀、岐阜を抜けて愛知名古屋へと向かいます。まず前回までの調理師学校のあった北浜、天満橋を通り大阪城に向かいます。朝はまだ雨が強く降っていて、ヘルメット、レインコート上下と足元はクロックス、手は剥き出しです。
大阪城!時間が早いので当然、城内には入れません!お堀の周りをぐるっと一周して、遠くから眺めました。懐かしい!
大阪城は言わずと知れた太閤豊臣秀吉のお城!大河ドラマ「真田丸」でも徳川家康との大阪冬の陣!大阪夏の陣と戦国時代最後の戦場!
黒と金を使った秀吉カラーの城!別名「錦城」「金城」絢爛豪華!そして何と言っても城を取り囲む石垣の素晴らしさ!でも知ってますか?今の城を含めた石垣は豊臣時代に作られた物では無く、徳川時代になってから新しく建てられた城なのです!厳密には天守は大戦後です。
石垣総延長12キロ約700万個
一番大きい石蛸石は130トン
約100キロ離れた小豆島から人力で切り出し木のソリとイカダで輸送!
人的ミスや自然災害で途中イカダの沈没やどうにも動かせなくなった石とかが小豆島周辺や瀬戸内海に今でも残念石とか残石と言われる石が残されているそうです。小豆島(しょうどしま)です!「あずきじま」や「こまめとう」ではありません!
今ある大阪城は豊臣秀吉の作った城では無く、徳川大阪城!完膚なきまでに豊臣の痕跡を消し去りたかったんでしょうね。それだけ秀頼が、豊臣家の残党が脅威だったに違いありません!ジーク豊臣!
最近の研究でわかっってきたらしい事なのですが、1614年の大坂冬の陣!豊臣勢は淀川の堤を切って大阪城の北側から東側にかけて洪水の防壁を作り食料や火薬の輸送ルートを確保と敵の進軍を止めたそうです。
家康は堤防を築き洪水を治め大阪城北側の備前島から射程500メートルの大筒による砲撃!
秀頼の母、淀は戦意を喪失し和睦、そして夏の陣に続く
他にも色々謎や仮説が飛び交いますよね!秀頼は石田三成の子ではないのか?とか!実はこれらの戦争はワザとで三英傑は、イエズス会から日本を守った?!とか!
そして、豊臣時代当時の大阪城の一部がなんと竹生島(チクブジマ)に移築!竹生島って!?琵琶湖の北部に浮かぶ島です!今回のレイラインコンプリートの旅で訪れた出雲大社!大山!元伊勢神社!伊吹山!富士山!これらが一直線に並ぶ春分秋分線にこの竹生島も同じライン上に!因果関係は不明ですが、意味深な感じですね!また何かわかったら記事にしますね!
次回 淀川北上!時代の間で翻弄された女の巻
ここまで読んでくださった方の願い事が叶います様に…」
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