数日前のつづきです。
コンクールにも出場し、
私は周りから見れば恵まれた吹奏楽部員でした。
しかし、、、
中学生の私は、コンプレックスの塊でした。
今に始まったことじゃないのです(爆)。
この頃は、どちらかというと「外見」的なことに
卑屈になっていました。
そこになぜ部活動が絡んでくるかというと。。。
先に書いたとおり、
僕はソフトテニス部という”運動部”に入る予定が、
いろいろあって吹奏楽部という”文化部”に入りました。
で、当事者の方も読んでいるので
書きにくい部分でもあるのですが、、、
僕は、運動が出来なくてこの部(文化部)にいると思われるのが、
すごく嫌だったんですね。
というのも、女子はともかく、
僕の学年は僕を含め、男子が2人しかいませんでした。
もう一人は、明らかに運動部じゃない雰囲気。
で、先輩の男性方も、どちらかというと運動が好きそうじゃなく、
文化部の香りをプンプンさせていました。
僕は正直、一緒にされたくないという思いがあって、
それは誰に対してと言うわけじゃないんですが、
被害者意識というか被害妄想というか自意識過剰というか、
男子の文化部=変わった人、運動が出来ない人、という図式を
勝手に思いこんでいました。
で、コンクールが終わって、
秋に訪れる文化部特有のゆるーい雰囲気にも我慢がならず
(というか、周りどうこうよりお前が努力すればそれで良いと
今の自分なら思うのですが。。。)、
運動部へ移りたい、という思いが日に日に強くなりました。
で、冬だったと思うんですが、
三者面談だか何かがありました。
母親にはそういう話を既にしていて、
まず、その場で、担任に話をしてみよう、ということで、
ひとしきり話が済んだあと、
僕は担任に話を切り出しました。
皆さん中学生の頃を思い出してほしいのですが、
「幽霊部員」はあっても、
「転部」という選択肢はあまりなかったのではと思います。
確か、学年にも1,2例あるかないかのことを
思い切って話しました。
もちろん、行く先はソフトテニス部でした。
しかし、ここで大きな誤算が起こりました。
実は、うちの学年は3クラスだったのですが、
まとまって一つの教室で面談をしていたんですね。
私は1組、で、
実は2組の担任が、部活動の顧問でした。
すぐ隣にいたわけじゃないんですが、
僕が自分の担任に話していたことが、
漏れ聞こえてしまったんですね。
向こうから、僕の話を漏れ聞いた顧問が、
ゆっくりニコニコしながら歩いてきました。
で、
「○○君~」
という感じで、僕の後ろに回り、
僕の肩を揉みながら、「一緒に頑張ろうよ~」
というような”やわらかな”慰留をはじめました。
これを読んでる顧問の先生をご存知の数少ない方は、
なんとなく想像できるのでは(笑)。
で、僕は、そういう流れを想定しておらず、
口ごもって、苦笑いを浮かべるしかありませんでした。
心の中では「しまったな~」と、
聞かれてしまったことを悔やんでいました。
顧問にしてみれば、数少ない男子の部員ですし、
辞められては、という思いはあったと思います。
僕自身、顧問には信頼を置いていたので、
それ以上強く出ることは出来ませんでした。
で、その場はそれで終わりました。
僕がその後、どうしたかというと、
その後を知る数少ない方々はご存知かと思います。
僕は結局、気の弱さも手伝い、
また、自分の吹奏楽部での存在理由も考え、
この話はそれ以降、うやむやになりました。
僕の方からその後、顧問や担任に話すことはなく、
向こうも触れる事はありませんでした。
で、僕は結局3年間吹奏楽部に在籍しました。
部活自体への上記の個人的な不満はなくなりましたが、
僕自身のコンプレックスは、中学生時代はずっと続きました。
運動部へのコンプレックスは、
その後、色恋なども絡み、消えることはありませんでした。
初めて話すことですね。
僕と、親と、担任と顧問以外知らない話です。
何で書いたかと言うと、、、
パッと思い浮かぶブログネタがなかったので(笑)。
中学生の部活動はそうやって終わったのですが、
実は、このコンプレックスの流れがあって、
高校ではある行動に出ることになります。
この辺はまたネタがないときにでも(笑)。