<「真昼岳」から「大曲」方面を望む>
●登った日:2019年9月21日(土)
●歩いたログ(足跡)(歩いた道のり:往復6.3km)
※誤りを訂正した。(以上の地図:国土地理院)
●GPSによる標高図
(GPSデータを「カシミール3D」の加工した図)
「真昼岳」頂上からの眺望写真を続ける。今度は少しアップした写真で、まずは「大曲」方面を望んだもの。
「西山」がよりはっきり写る。その手前の市街地が「大曲」の街で、1の辺りが中心部の「大曲駅」の辺りである。2の矢印の下にあるやや白っぽい広がりが、「雄物川」の岸にある花火の打ち上げ会場。ここから18km程の距離であるが、見下ろして鑑賞する花火はまた格別と思われる。
3は「丸子川」で、かすかに水面が見える。4は「旧仙北町高梨」にある「旧池田家」の屋敷(現在は庭園)の木立で、ここから見てもその規模の大きさがわかる。
次は「六郷」方面の写真。
1が「六郷」の街の中心部で、矢印の下の横に延びる木立の辺りは多くの寺が建ち並ぶ一角。「六郷」の街から左下へ斜めに延びる道(県道)が見える。現在掲載中の「六郷野中・六郷東根を往く」は、この道を歩いた記事である(しばらく中断しているが)。
2は「雄物川」で、3が「角間川」の中心部になるようだ。
最後はすぐ下に見える「一丈木」方面を望んだ写真。
左奥に1に写る「神宮寺岳」の脇に「雄物川」が光っている。2が「払田の柵跡」のある「真山」、3が「一丈木」の杉・松並木。その右下に「一丈木ため池」が鏡のような水面を見せている。
4は「本堂城」の城下町として造られた「本堂町」で、この辺りではひと際大きな集落であることがわかる。その「本堂城跡」は5の緑色をした広がりで、その隅に聳える「ケヤキ」の大木も矢印のすぐ右手に写っている。
写真では右上隅の外になるが、「秋田」方面を望むと、「男鹿半島」の「寒風山」や「真山」、そして、「秋田湾」の海面が肉眼でもうっすらと見えていた。さらに、双眼鏡でのぞくと「秋田港」の展望タワー、「セリオン」も見えた。
「真昼岳」を頂点に南北に連なる「東山」は、千メートル前後のそんなに高くない山並みであるが、夏に「太平洋」から吹きつける冷たい「ヤマセ」を遮ってくれる。このため、「仙北平野」では「太平洋」岸の各地域で発生するような大冷害に見舞われることはほとんどない。頂上から黄金色に染まった平野を一望して、「東山」には感謝しなければならない、と改めて思った。
ところで、頂上には我々のほかにもう一人、迷彩色の上着を着た人がしきりに周囲を眺めまわしている。Aさんが、「何をしているのだろう」と話すので、私は「訊いてみたら」と答えたが、結局聞かずじまいだったようだ。
昼食をとりながら一時間程休憩して帰路につく。標高図が示すデータを確認すると、累積標高が600m程になっている。登山口と頂上の標高差の割にはややきつい道である。
最後に📷002(P1)地点の辺りで撮った写真を掲げる。
左上が「北ノ又岳」で、右手奥の、林道と北に向かう登山道が交わるところが登山口。もう少しだと思いながら、だいぶ疲れてきた足を励ます。
「北ノ又岳」から下って行くと、登山口すぐ手前の見晴らしのいい場所に、登る時に出会った人がまだいる。そして、頂上で周りを観察していた人が私たちの後から下山して来たらしく、ここで追い付かれる。どうしても気になるので、「熊の調査でもしているのか」と訊いてみると、「熊は専門に調査している人が別にいる」との答え。笑いながらも、結局教えてもらえなかった。
車で林道を下る。登山口から少し下ったところに「延命水」の看板が立つ水場がある。下見に来た時、かなり高齢の夫婦がペットボトルに水を詰めていた。Aさん、Mさんに「水を持ち帰らないか」と訊いたが、二人とも「いらない」との返事。
さらに下ってしばらく進むと、すぐ後ろに車が続いている。先ほどの二人がそれぞれ車で降りてきたようだ。山道に慣れていると見え、ゆっくり下る我々の車に追い付いたらしい。道幅が広くなっているところで2台の車を先にやり過ごし、引き続きゆっくりと林道を下る。
(終わり)
これからも素晴らしい山行記録、それとふるさと歩行記録、期待しております。
占領策の一環とはいえ、アメリカが写したS23年の航空写真は、地域の昔の姿を知る貴重な資料ですね。歩いたところを国土地理院のHPからDLし、現在と比べてみるのは非常に面白いです。六郷城跡が戦後の食糧政策で開墾されたことは初めて知りました。
それから「●●を歩く」シリーズも感服しております。とりわけ、旧六郷城の古い空撮写真などは、幼いころに近所の郷土史家から聞いていた「戦後しばらく土塁と堀が残って立派な城跡だったのに、戦後の食糧増産で開墾され、見る影もなくなったのは残念だった」というお話を聞いており、それが裏付けられる貴重な資料写真だと思いました。