天才ライダーが、また、サーキットで散った。悔やんでも人体は動かない。魂と記憶だけが残るだけである。散ったのは、富沢祥也選手。19歳。場所はイタリアにある、世界に名を知られる有名なサーキット、サンマリノだ。
日本では関心が薄いが、スペインやイタリアでは、朝刊の一面を大きく使うトップ記事である。彼は千葉県旭市に実家があり、地元高校の英語科の卒業生である。今年から世界を転戦するモト2クラスに、フル参戦していた。地元の人であり、レースが好きなので、注目をしていた。期待の星だったので、本当にがっくりである。
同じ感覚を過去にも感じたことがある。アイルトン・セナさんである。彼は1994年5月、同じサーキットで散った。享年34歳。彼の場合は活躍した期間も長かったので、死を悼む波は世界中に巻き起こった。興味のなかったひとたちは、英雄の死にびっくりしたものである。祖国のブラジルでは国葬が執り行われた。50万人が参列したと当時の新聞は伝えている。
さらに、またひとりの選手を思い浮かべた。浮谷東次郎さんである。彼は23歳でサーキットに散った。彼も千葉県出身者。1957年15歳のときに原付バイクで東京ー大阪を往復したさいの様子を書いた「がむしゃら1500キロ」を読んで、名前を知った。読んだ当時は、こころを響かせてくれた。何か、この人 生に影響を与えてくれた。近く、音速の貴公子と称されたアイルトン・セナさんの 記念映画が封切られる。サーキットまで見に行った事もある。亡くなったシーズンは、車のセッティングが不調だった。彼の天才運転技術が車の不安定な挙動を押さえ込んでいるように見えた。事故が起こったコーナーに は、真っ直ぐに激突したように見えた。富沢さんは240キロのコーナーで転倒した。オートバイが、240キロでコーナーを,よくぞ曲がれるものだ。合掌。