ひとり ときどき ふたり旅 さんぽ 壱

神田明神下 喜川 冬のうなぎは旨い 天野屋の甘酒

 
関東の鰻は、蒸して焼くのが当たり前
 
今日は「丸の内仲通り」紅葉の中を感謝・凱旋パレード
「日本ラグビー代表」歩きます。
 
見に行きたいけれど、いただいたご招待と重なったので
「神田明神下 喜川(㐂川)きがわ」を優先します。
 
あとから聞くと、パレードに集まった人は5万人、盛り上がったんでしょうね。
 

喜川を目指して、御茶ノ水駅で降りて「神田明神」の山門をくぐります。
 
 
 
神田神社「本殿」裏の鳥居を抜け、階段を降ります。
 
 
 
赤や黄色の葉の下をくぐる「裏参道 女坂」、風情があります。
 
 
 
神田明神の裏口にあるお店はビルの階下にあり、
落ち葉が誘うアプローチとなっています。
 
「開運招福 うなぎのぼり」
 
 
 
明治29年(1896年)創業123年の伝統、江戸の味です。
東京有数の花街柳橋に開業し、 時代の流れとともに粋な通人の街、神田に店舗を移しました。
 
 
 
その日の朝に届いた国産鰻を、その日のうちに調理します。
 
30分蒸したのち、伝統のタレは創業当初からの継ぎ足し秘伝ダレ
焼きを入れ、 余分な脂が落ちた、あっさりとした江戸前の蒲焼です。
 
 
 
まず運ばれたのは「鰻巻き」、ウナギのかば焼きを芯にして巻いた卵焼きです。
 
 
 
そしてもう一品「うざく」、うなぎときゅうりを酢に合えた物、日本酒にあいます。
 
 
 
場所柄もあってか年齢層は高めで、静かで落ち着いた雰囲気です。
 
 
 
そういえば、友人から冬のうなぎは旨いからね、と言われたことがあります。
 

【雑学 うなぎの旬とは?】
実は、天然物うなぎの旬は、10~12月の冬が一番おいしいとのこと!
ワケは、冬を越すのに備え、脂肪をたくわえ、身もやわらかくなり、おいしくなるようです。
 
 
 
「香の物」のお新香もお酒のアテに。
 

【どうして夏の「土用丑の日」に食べるのか?】
※有名な逸話として、「幕末の学者・平賀源内」が、
夏に売れないウナギ屋にすすめた宣伝方法が、
大当たりしたのが始まりと言われています。

その話が、本当かどうかは謎ですが、江戸末期までは、
旬の冬にうなぎを食べていたことが推測できますね。
 
 
 

運ばれてきました、ふたの柄は、菊模様ですね。
 
 
【うなぎの育て方は?】
天然のウナギの稚魚(白魚)を海で捕獲し、
イケスに放ち大きく育てるのが "ウナギ養殖" です。
そういう意味では、イケスで育てるというだけで、
人工的な養殖ものとは少し違います。

逸話が広まって、おいしく食べれる時期が、冬から夏に変わったのですね。
それでも、天然うなぎの旬「冬の土用丑の日」に
うなぎを食べる風習を推している方もおられます。
 
 

ふたを開けると、使いこまれた「㐂川」がうすく残っています。
 
 
【うなぎの旬は?】
天然うなぎの旬 ⇒ 10~12月の冬。
養殖うなぎの旬 ⇒ 5月~8月の夏
 
 

喜川のうなぎは、喜川オリジナルブランド『常次郎うなぎ』
 
最良の環境で大事に育てられた常次郎うなぎは、
天然うなぎと変わらぬ風味と味わいがあります。
身も肉厚で、重箱に江戸前のさっぱりとした切れのある味わいです。
 
 
 
「肝吸い」の肝もふっくらと大きく、だしの味が強めに感じます。
 
 
 
 
江戸・東京を見守ってきた「神田神社」の裏手にある
「神田明神下 喜川(㐂川)きがわ」
 
参拝のあとのお立ち寄りに良いお店です。
 
 
 
 
併設ビルのエレベーターで上がり、神田神社まわりをそぞろ。
 
「銭形平次・八五郎(がらっ八)」の碑をとおり、神田明神に手を合わせます。
 
 
 

神馬・神幸号(みゆき)「(あかり)」ちゃんがいます。
るく平和な世と神田神の文字からとっています。
 
ポニー「あし毛」といわれ、歳をとるごとに白毛が増え白馬になります。
 
 
 

「さざれ石」
国歌 君が代に詠われている言葉、永久の団結と繁栄の象徴です。
 
滋賀県・岐阜県境の名峰「伊吹山山麓」から産出しています。
 
 
 

こちらは、少彦名命(えびす様尊像)。海の神様です。
 
 
 

参拝後、ひさしぶりに門前大鳥居横の「天野屋」に伺います。
 
 
 

1846年(弘化3年)に創業された「天野屋」173年の老舗甘酒屋さんです。
 
甘酒は、化学添加物を一切使用せずに、
お米と糀だけで造る伝統的な製法で作られた麹甘酒です。
 
 
 
「白玉あずき」 も絶品、口に残った甘さをお茶でとりさり甘酒を飲みます。
自然の甘さを感じます。
 
 
 

帰りには、天野屋に立ち寄ると求める「芝崎納豆」
大粒大豆の旨味を感じます。
 
 
 

帰りは、上野に向かって散歩します。
 
途中黒門町で日本最初の喫茶店があった
「可否茶館 《 かひさかん 》」の碑を見つけます。
 
調べると、以前はこのような形で建っていました。
 
 
 
 
新しいモニュメントは、コーヒーカップの形にゆげがでています。
 
 
【記されている内容は。】
明治21年(1888年)日本人による初めての喫茶店が、
鄭永慶(別名・西村鶴吉)により設立。
200坪の敷地に五間と八間の二階建ての木造洋館で、
1階には『トランプ、玉突き、クリケット、碁、将棋』を揃え、
硯に便箋や封筒もおき、更衣室、化粧室、シャワー室、調理場などの設備の他に、
『内外の新聞、雑誌類、その他和漢洋書、書画を蒐集縦覧に供す』部屋を設け、
2階が喫茶室で、丸テーブル、角テーブルを配置、椅子は籐であった。
 
コーヒーは1杯1銭5厘、牛乳入りが2銭であり、
一品料理、パン、カステラなども出していた。ちなみに当時、
「もりそば」は8厘であった。
 
設立者の鄭永慶は、近松門左衛門作の「国性爺合戦」で有名な
鄭成功の弟、七左衛門を先祖にもち、庶民のためのサロンとして、
また知識も学べる広場(コーヒーハウス)とすることを理念としての開店であった。
 
 
 

歩を進めると色々なことを見つけられますね~
 
次の旅の計画に上野広小路のJTBに寄って、海外旅を聞いて帰りましょ。
 
 
 

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