HEC(類人猿進化カレンダー)という筆者の作成した図は、人類進化700万年を一年だと想定すると、今までに発掘などで知られている類人猿の種類は26種類となっていて700万年前が1月サヘラントロプス・チャデンシスが生まれ森林で四足歩行と二足歩行を始め、3月に三種類出現、5月には直立二足歩行を常とするアウストラロピテクス、7月には複数の種類が重複して出現、10月になって我々の祖先と考えられるホモ・エルガステル、11月にホモ・ハイデルベルゲンシス、ホモ・サピエンスが登場するのは12月も末、27日になってのことである。
様々な枝分かれのポイントの中で、一つは直立二足歩行をするために必要な足の親指の向き、樹上ではその他の4本と向かい合うのが有利、しかし歩行するにはまっすぐ伸びた親指が必要だった。もう一つ大きな分岐になったのが「頑丈型」なのか「華奢型」なのかという違い。頑丈型のほうが当然力は強いし大きな獲物を獲得できる。しかし直立二足歩行をするという特質がもたらした脳の容積増大が、母の出産の困難さももたらした。そこで、華奢型は小さく生んで長く育てる、という選択をした。これが人類進化の大きなポイントで、「ネオテニー」と呼ぶこの特性は類人猿の脳の容積が850ccに達した時に出産早期化が始まったという。幼年期が長くなるため、同時に出産可能年齢の高年齢化も始まった。それ以降の類人猿では赤ん坊はなかなか生まれてこず、生まれてきても前の類人猿に比べて未熟な状態で生まれてくるので、母や仲間たちは大切にその子供を育てないと仲間の大きさを維持できない。早く即戦力になるように子供を大きく育てるか、多くの社会的関係性を学ばせて群れとしての力を高めるか、それは早く生まれる「頑丈型」は絶滅して、幼年期の長い「華奢型」が生き残ったことからその自然選択が行われたことは明らかとなる。大きな脳を持ち生き残った類人猿は繁殖の速さよりも、頭の回転と社会性学習を選んだ。
ネアンデルタール人と現生人類のホモ・サピエンスは2万5000年もの期間共存した。その間交雑があり、現生人類のDNAのうち1-4%はネアンデルタール人由来であるという。しかしネアンデルタール人は滅んだ。現生人類が力で滅ぼした、という説もあるが、筆者は優しく滅ぼしたという説をとる。つまり、現生人類の方が厳しい氷河期を生き残るすべを早く身につけた。腕力、脚力では上回っていたネアンデルタール人と現生人類を比べると、幼年期が短く早く大人になる、女性も狩りに加わるため、子孫を生むべき女性や将来の子孫を残すべき子供にも怪我や事故が発生して、結果的に群れの人数を増やすことができなかった。また、ネオテニー期間に学んだ社会性の違いから群れの大きさが現生人類の方が大きかった。群れで子供を育てる優位性があったというのだ。
声帯の仕組みから現生人類は発声によりコミュニケーションをうまくとれるよう進化してきている。群れで狩りをする際のコミュニケーション、学んだことを仲間に伝える方法、また音楽と踊り、リズムで仲間の絆を深める、いずれも発声のバリエーションが豊富なことは有利に働いた。さらにホモ・サピエンスは抽象化、現実と抽象のとの対比、マッピングの能力も持っていて、これは賢いゴリラやチンパンジーが名詞や動詞を覚えるのとは性格が違うという。神の存在や音符で音楽を奏でる、というのはホモ・サピエンス特有の能力であると。
筆者は次世代型人類について予想する。私達は生き残ることを求めながら便利な道具を生み出し続けている。しかし現代人は自らが生み出した道具や複雑な人間関係でストレスを抱え、豊かな食生活と便利な乗り物が排出する排気ガスで肥満とアレルギーに苦しんでいる、種を新しくするということはこうした環境変化に対応するということで、複雑な機械を使いこなし、人間関係を巧みに処理、健康な生活を送ることができるために子孫を増やせる新しい人類である。ひょっとしたら体の一部はシリコンでできているのかもしれないと。
テレビでアイドルの嵐が子守をするという番組があり、リーダーの大野は赤ちゃんを上手にあやすが、人気があった松潤は必ず赤ちゃんを泣かせるのだ。ネオテニー選択、赤ちゃんは正しく大野くんを選んだということではないか。