すごい仮説、学者でもない著者が、日本古代史の通説に真っ向から異を唱える。題名の通り、万葉集をよく読めば、乙巳の変の首謀者の一人、中大兄は大和朝廷の皇子ではなかったことを示す上下巻。著者は、サンデー毎日の編集委員等を経て、現在は作文塾の経営者であり、本書を読めばよく分かるが、歴史や和歌に通じていて詳しい方。記述は時に大変詳細であり、重複もあるが、かえってそれにより筆者の執念を感じられる。本書では、一般読者だけではなく日本古代史の学者、研究者、そして古代史全体に問題提起している。
下巻では、まず斉明時代の皇太子は誰だったのかを究明。日本書紀を普通に読めば、中大兄は舒明紀から称制天智紀まで引き続いて皇太子だったように読めてしまう。しかし、よく分析すれば、斉明朝の皇太子は中大兄だとは記述していない。皇極帝の最後と孝徳即位前紀の立太子が中大兄だという記述は後から細工したものだと考えると、斉明6年5月の皇太子は大海人であると指摘。さらに斉明紀と天智即位前紀は別々の資料を使って別々に編集されたとすると、皇太子のいた場所に関する矛盾が解決できる。そのことから、斉明紀の皇太子は大海人皇子、天智称制前紀の皇太子は中大兄だったと結論。
続いて、天智の時代には、都は筑紫に有ったとする。663年白村江での敗北後、日本書紀の記述において、唐の使節が日本列島を訪問したことが示されているが、天智4年9月記事で筑紫から2日間で都に至っていることから、都は筑紫近隣にあったと推測できる。天智10年の天智の葬儀に関する記述で、唐の使節は筑紫に来たと書かれており、やはり都は筑紫にあったのことが推測できる。天智3年の唐使節に関する記述で、「善隣国宝記」と日本書紀の記事を詳細分析、善隣国宝記の記事の方が確度が高いと指摘、唐からの使節は大和盆地の飛鳥には来てはいないとする。つまり、称制天智紀の天智の基盤は畿内にはなく、称制天智は筑紫王権であったことを明らかできると推測する。
続いて、日本書紀と万葉集での改竄について推測を述べている。日本書紀は、持統と藤原不比等、舎人親王等により、藤原氏、天武天皇系統に好都合になるよう歴史が捏造され完成されたとする。好都合なシナリオとは、神武が筑紫から東征して大和盆地にあった勢力を統合し大和朝廷を開き、それ以来は、応神、仁徳や継体時代など、一定期間宮殿が大和盆地を離れることはあっても、神武以降、連綿とつながる血脈を維持してきた天皇家、大和朝廷が政権を維持してきたする。先に明らかにしたように、天智の基盤は筑紫にあっただけではなくこの血脈とは別系統だったが、正統なる大和朝廷の皇子、天皇として仕立て上げ、天智や中臣鎌足の系図等をわざわざ創作して、これから勢力を広げようとしている藤原氏に都合のいいように歴史を書き換えた。
一方、長屋王は天武天皇の孫、藤原対抗勢力のリーダー的存在だった。万葉集への書き込みをすることで、日本書紀における藤原不比等による歴史捏造を告発したという。長屋王をリーダーとするメンバーは長屋王、山上憶良を中心にし、佐為王、紀清人等である。万葉集で歌とは直接関係ない記述を加えることで、同時代の日本書紀の記事の不自然さをあぶり出しているとする。万葉集の普通なら有り得ないような変則表記が日本書紀の歴史観を軌道修正しているとする。この後、長屋王は自殺に追い込まれる。最終的に万葉集を編集したのは大伴家持。家持が亡くなる785年までには万葉集は完成したとしている。
歴史の通説、とくに古代史の定説といわれるものには根拠が乏しいものが多いことを実例で示している。万葉集に記述されている多くの人名、地名、不明な固有名詞が多い。正体不明の地名は、筑紫政権、天智、鏡王女に関係しているとする。通説や定説を疑う姿勢が重要だという筆者の姿勢と実例による詳細なる指摘は説得力を持っている。本書内容は以上。