大河ドラマ「どうする家康」の副読本的存在の一冊。本書の章立てをたどることは、一年間の大河ドラマを思い出す作業と重なるほど。
松平家の前史では、葵のご紋について。葵は京都の賀茂神社の御神紋で、松平家は古代賀茂一族だったという説もある。三河の賀茂郡がその所縁の地。松平家の中には賀茂朝臣と自称するものもいたという。ちなみに先祖だという新田氏の家紋は一引両。松平家は十四家もあったといわれ、大給、桜井、深溝、福釜、藤井、滝脇、長沢、竹谷、形原、大草、五井、能見、東条、三木。
今川と織田の人質になった子供時代があり、織田信長との盟友関係につながるようにドラマでは描かれたが、真相は不明。家康の三大危機の一つが三河一向一揆、三方ヶ原、そして伊賀越えだが、三河一向一揆は中でも家臣の中にも信者がいて大変な問題となったはず。当時の家康は元康と名乗り、一揆側に付いたのが本田忠信で、松平譜代の酒井忠尚、東条の吉良義昭、西尾の荒川義広、夏目吉信、石川数正の一族でも一揆側についた勢力も多く居た。
その後、今川家の人質から三河国大名への道のりがあり、強敵・武田信玄に立ち向かった三方ヶ原では完敗する。織田信長との関係は微妙で、盟友であり主君ともなる。家康に謀反を起こす大岡弥四郎や、鳥居強右衛門の活躍はドラマでも描かれた。そして突如起きた本能寺討ち入りでは伊賀越えの試練があり、天正壬午の乱へとつながる。
秀吉との争いと対決ののちの臣従では、ここでも多くの家康の試練があった。小牧長久手の戦い、真田家との戦い、石川数正の裏切り、秀吉からの真田家に対する無理難題などがあり、臣従を決めた。江戸移封、奥羽の動乱、朝鮮出兵などがあり、秀吉は死の直前に秀頼への臣従を依頼するが、これは叶わない。
関ケ原の戦い前後にも多くの危機がある。石田三成襲撃事件、家康暗殺計画、上杉景勝の対抗、三成と景勝による挟み撃ち計画、西軍による家康弾劾状、小山評定、秀忠による上田城攻め、難攻不落の岐阜城攻略などがあり、関ヶ原に勝利することが、その後の天下を決めた。
関ヶ原後、西軍武将たちの行く末は、東軍武将たちとの明暗を分けた。そして冬の陣、夏の陣を経て、豊臣家を滅ぼし天下統一へと向かう。徳川家康は千六百三年に征夷大将軍となるがわずか2年で秀忠にその座を譲り、大御所として駿府から国を操る。本書内容は以上。
大河ドラマは年末に向けて物語が進んでいくと思うが、まだまだ家康の試練は続く。それでも、伊賀越えを乗り切って、それ以降の試練は家康の先を見据えた判断が冴えたと思える。家臣に恵まれ、部下の話をよく聞く、独裁的リーダーではなかったことが、260年続く江戸幕府の時代を開いた大要因だった。