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意思による楽観のための読書日記

全国アホ・バカ分布考 松本修 *****

学術的内容をふんだんに含みながらも、テレビの制作過程を裏側から見せてもらいながら楽しく読める本である。書き手のノリは完全に関西人的であるが、アホ・バカに代表される全国の方言に必ず存在するその言葉の来歴が、自分の小さい頃に祖父祖母に掛けられた言葉とともに思い出され、各地方の誇りとともに日本語が全国に広がっていくさまを知ることができる、全国の読者にも是非読んでほしい一冊。(内容を詳しく知りたい方は、タイトルともなった全国のアホ・バカ分布図を見てみよう。

該当する番組は日本民間放送連盟賞など数々のテレビ番組を対象とするタイトルを総なめにしている。視聴者から番組に寄せられた質問「アホとバカの境界線は日本のどのあたりにあるのでしょうか」という問への解答を探す旅から始まった。つまり、東西の境界線があるだろう、という前提でその境目を探そうということ。全国の視聴者からはすぐに反応がある。北海道・青森は「ハンカクサイ」、宮城・福島「バカ」、茨城「ゴジャッペ」、石川「ダラ」、福井「アヤ、ヌクテー」、兵庫「アハー」、徳島「ホレ」、岡山「アンゴウ」、島根「ダラズ」、佐賀「フーケモン」、鹿児島「バカ」、沖縄「フラフージ」。

しかし筆者は「蝸牛考」に目を留める。民俗学者の柳田国男は「蝸牛考」で「でんでんむし・カタツムリ」の言葉が昔の都であった京都を中心に同心円状に古い方は外側の円周に残り、都から新しい言い方が伝わるたびに置き換わっていく、という仮説を立てた。この説によれば、最も古い言い方の「ナメクジ」が東北や九州の辺境に残り、「ツブリ」「カタツムリ」「マイマイ」「デデムシ」と新しくなっていくに従って京都に近づく。関東ではカタツムリ、関西ではでんでんむし、という東西対立ではなく、東海地方や福岡では「ツブリ」など関東と京都を中心とした同一距離円周上にカタツムリという言い方が残っているということ。しかし柳田本人はこの仮説には例外が多く、カタツムリ以外の単語での同様事例を見つけられずに自信をなくしていたというのである。筆者はこの仮説をアホ・バカを例にとって徹底的に検証、証明したとも言える。

視聴者から寄せられた23種類のアホバカ表現に関して古事記、日本書紀以来の過去の文献を調べる。すると、古事記では「ヲコ」、日本書紀・万葉集では「タハケ・タラズ」、その後時代を経て「ホウケ」「コケ」「トロイ」「アホウ」「バカモノ」「タクラダ」「アンコウ」「ヌクイ」「ハンカ」「ダボウ」「デレスケ」などが現れてくることを知る。方言研究の徳川宗賢先生やその他の学会の先生にも協力を得て、方言・言語学会での論文発表にも至る。

こうしたプロセスでの秀逸は、筆者の日本語に対する愛情であった。沖縄の「フリムン」は語源を「振れもの」つまり気のふれたようなという表現だという説が一般的だったことに違和感を抱いて追求したこと。結果は「惚れ者」、日本語のアホバカ表現に人を貶める直接的な表現はないはず、というのが筆者の信念だった。沖縄の人はこの説を知って喜んだことだと思う。同様の例が「ホンジナシ」、類似表現は東北地方と南九州にある。鹿児島では「ホガネー」、青森では「ホンジナシ、ホンツケナシ」秋田では「ホジナシ」岩手「ホウデアナシ、ホデナシ」宮城では「ホデナス」山形「モンジャナシ」福島「ヘデナス」、東北地方の人は自分たちの表現が品がないと思い込んでいた。しかしもともとは御伽草子で酒天童子が言った言葉「酔ひてもホンジ忘れず」、ホンジとはしっかりとした意識、本地垂迹思想の本地であり本来の姿、子供が成長すると「ホジがついてきた」とも言ったという。東北地方のズーズー弁では古くは使い分けられていた「ディdi」「ジzi」「ズzu」「ヅdu」をすべて「ズzu」と発音する。ホンジナシは「ホンズナス」と変化することになる。この変化伝搬速度は1年で930m、約1Kmで、約500年かかり会津地方まで、800年で下北半島まで到達したと思われる。京都を中心に同円周上に広がる同様事例は「カシコイ・リコウ」「ダケド・ドン・バテ」「兄・あんちゃん」「弟・おとと」強調する「ど・くそ・ウズラ・コ」など枚挙にいとまがない。

明治維新で首都は東京になり、標準語を関東言葉に統一したい政府の意向から、この京都を中心とした蝸牛考的展開は止まっている。しかし、このアホバカ表現の考察は今までの学説も変えるパワーを持っている。筆者はバカについて白楽天の白氏文集の「馬一族が自分の家にお金をかけて民を苦しめていることこそ愚かなり」それを表して馬家の者と表現したことを、日本の平安インテリたちが取り入れたとする。つまり、「バカノモノ」が輸入された後、バカモノ、バカ、と変遷してきたとする。アホはバカより新しい。南宋から明の時代に、蘇州の人たちが杭州の人たちを罵って使ったのが「阿呆」現地発音で「アータイ」。これがその時代に勘合貿易の波に乗り文書で日本に伝わり、新しい言い方で人のことを少し馬鹿にするニュアンスで使ったのが「アホウ」、「阿房宮」から由来するなどの諸説を否定する。この「阿」は出雲の阿国や阿Q正伝に使われる名前にちょっと付けて親しみを表現した呼称。23種類のアホバカ表現を見てみるとアホ以外はすべて間接表現、アホだけが直接的な「愚か者」表現であり、阿を付けて柔らかくしている。

こんなことに、どれだけのエネルギーを投入したのかと恐れ入るが、これらは視聴率獲得という目的と、面白い番組を作りたいという熱意に支えられている。賞も取ったし、学会でも発表した、本も出したし、関わった人たちの満足度は余程高かったと推察する。読んだ私の満足度も高い。これは私も関西人、京都嫌いの京都人であることから由来するのかもしれないが。


↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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