生活用水ない 洗濯できない 輪島市
最大震度7が襲った能登半島地震から22日で、3週間となります。甚大な被害を受けた石川県輪島市。20日、市内に入ると、火災で焼失した朝市通り、屋根だけになった家屋、折れた電柱、陥没した道などが目に飛び込んできました。(都光子)
(写真)輪島診療所の事務長、上浜幸子さん(前田智也撮影)
避難場所となっている学校などでは、校庭など駐車場となっている場所に車が多く並んでいましたが、往来はまばらです。
朝市通りは入り口手前のところに黄色いテープが張られ、立ち入り禁止になっています。その先は焼け野原が広がり、圧倒されます。
「画期的なトイレがあるんですよ」と話すのは輪島診療所(全日本民医連加盟)の事務長、上浜幸子(かみはま・ゆきこ)さん(56)。災害用簡易トイレで水を使わず、においも漏れず、排泄物を自動で密封し凝固剤で固めてくれる最新式を紹介してくれました。支援者にも利用者にも気兼ねなく使ってもらえるといいます。
被災直後、トイレのことが大変だったと上浜さん。「災害時のトイレの使い方をみんな知らなくて、あふれていた。避難所のトイレをきれいにしたのは介護職や看護職などノウハウを持った人たちだった」といいます。仮設トイレの設置が進み始めていますが、障害者やお年寄りなどが使いにくい和式など、地域で差があるようです。
「早く水が出てほしい。飲料水は支援物資としてたくさんあるけれど、洗濯、手洗いなど生活用水がない」と上浜さん。
洗濯ができないため下着類の物資が喜ばれています。上浜さんは少ない水で洗濯できるバケツ型洗濯機を30個注文しました。「汚れものをためておくより、下着だけでもぱっと洗えると気分も楽になるでしょ」
また安心して暮らしたい
避難者が戻って来られるように
(写真)焼失した「朝市通り」=20日、輪島市(都光子撮影)
建物が無事だった輪島市の輪島診療所では、震災直後から薬の問い合わせなどが相次ぎ、4日には避難所から職員が出勤し対応。いまは感染症の対応で大変だといいます。「インフルエンザになった患者さんがどこに行けばいいのか役所に問い合わせて、3時間後やっと行き場所が決まり、ほっとしました」といいます。
同診療所は金沢市の石川県民医連の支援を受けながら通常よりも少ない職員数のなか診療を続けています。
「洗濯機の中」
「あのときはほんとうに悲しいほど星がきれいだった」と輪島中学校で避難所暮らしをしているAさん(75)は、震災当日の夜を振り返りました。
震度6強の揺れは「洗濯機の中にいるようだった」といいます。自宅は黄色の「要注意」判定。去年5月に能登地方を襲った地震の後、突っ張り棒できちんと支えていたはずの和だんすも倒れました。朝市通りに住む知り合いはまだ行方不明です。
寝ているのは校舎の多目的ホール。仕切りはありません。「(2次避難などで)隣で寝ていた、ご近所さんもいなくなった」と避難所にいる人数が減ってきたことに複雑な表情になりました。
今後の街心配
Aさんと同い年で友人のBさんの自宅は応急危険度判定では「緑」で使用可能。電気も使えて自宅にいますが、断水のため、山からの冷たい水で洗濯し、雨水をトイレに使っています。
一番の心配は今後の街のことだといいます。「遠くに避難している人が大勢いる。その後戻って来られるようにしてほしい。南海トラフ地震はよく調べていてどこが危険かなど教えてくれる。ここ輪島もしっかり調査して、安心して暮らせるように、今後若い人が住めるようにしてほしい」と涙目で語ってくれました。
最大震度7が襲った能登半島地震から22日で、3週間となります。甚大な被害を受けた石川県輪島市。20日、市内に入ると、火災で焼失した朝市通り、屋根だけになった家屋、折れた電柱、陥没した道などが目に飛び込んできました。(都光子)
(写真)輪島診療所の事務長、上浜幸子さん(前田智也撮影)
避難場所となっている学校などでは、校庭など駐車場となっている場所に車が多く並んでいましたが、往来はまばらです。
朝市通りは入り口手前のところに黄色いテープが張られ、立ち入り禁止になっています。その先は焼け野原が広がり、圧倒されます。
「画期的なトイレがあるんですよ」と話すのは輪島診療所(全日本民医連加盟)の事務長、上浜幸子(かみはま・ゆきこ)さん(56)。災害用簡易トイレで水を使わず、においも漏れず、排泄物を自動で密封し凝固剤で固めてくれる最新式を紹介してくれました。支援者にも利用者にも気兼ねなく使ってもらえるといいます。
被災直後、トイレのことが大変だったと上浜さん。「災害時のトイレの使い方をみんな知らなくて、あふれていた。避難所のトイレをきれいにしたのは介護職や看護職などノウハウを持った人たちだった」といいます。仮設トイレの設置が進み始めていますが、障害者やお年寄りなどが使いにくい和式など、地域で差があるようです。
「早く水が出てほしい。飲料水は支援物資としてたくさんあるけれど、洗濯、手洗いなど生活用水がない」と上浜さん。
洗濯ができないため下着類の物資が喜ばれています。上浜さんは少ない水で洗濯できるバケツ型洗濯機を30個注文しました。「汚れものをためておくより、下着だけでもぱっと洗えると気分も楽になるでしょ」
また安心して暮らしたい
避難者が戻って来られるように
(写真)焼失した「朝市通り」=20日、輪島市(都光子撮影)
建物が無事だった輪島市の輪島診療所では、震災直後から薬の問い合わせなどが相次ぎ、4日には避難所から職員が出勤し対応。いまは感染症の対応で大変だといいます。「インフルエンザになった患者さんがどこに行けばいいのか役所に問い合わせて、3時間後やっと行き場所が決まり、ほっとしました」といいます。
同診療所は金沢市の石川県民医連の支援を受けながら通常よりも少ない職員数のなか診療を続けています。
「洗濯機の中」
「あのときはほんとうに悲しいほど星がきれいだった」と輪島中学校で避難所暮らしをしているAさん(75)は、震災当日の夜を振り返りました。
震度6強の揺れは「洗濯機の中にいるようだった」といいます。自宅は黄色の「要注意」判定。去年5月に能登地方を襲った地震の後、突っ張り棒できちんと支えていたはずの和だんすも倒れました。朝市通りに住む知り合いはまだ行方不明です。
寝ているのは校舎の多目的ホール。仕切りはありません。「(2次避難などで)隣で寝ていた、ご近所さんもいなくなった」と避難所にいる人数が減ってきたことに複雑な表情になりました。
今後の街心配
Aさんと同い年で友人のBさんの自宅は応急危険度判定では「緑」で使用可能。電気も使えて自宅にいますが、断水のため、山からの冷たい水で洗濯し、雨水をトイレに使っています。
一番の心配は今後の街のことだといいます。「遠くに避難している人が大勢いる。その後戻って来られるようにしてほしい。南海トラフ地震はよく調べていてどこが危険かなど教えてくれる。ここ輪島もしっかり調査して、安心して暮らせるように、今後若い人が住めるようにしてほしい」と涙目で語ってくれました。
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