(-"-) 令和元年までの、「残り時間」がカウントされている・・・
「平成最後の」「平成最後に」の連呼・・・
『ゆく年 くる年』でさえ、祀り上げるのだから、当然の騒ぎなのでしょう。
そういう「盛り上がり」に乗っかれない自分が、少しさびしくもあります。
と言いつつ、「平成最後に」ブログ書いとこう~(^_^)/~
今夜は、録り溜めたビデオを、消化できそうです。
相変わらず、ピントのぼやけた写真(^_^.)
まるで、白黒写真だわ(=^・^=)
(-"-) 令和元年までの、「残り時間」がカウントされている・・・
「平成最後の」「平成最後に」の連呼・・・
『ゆく年 くる年』でさえ、祀り上げるのだから、当然の騒ぎなのでしょう。
そういう「盛り上がり」に乗っかれない自分が、少しさびしくもあります。
と言いつつ、「平成最後に」ブログ書いとこう~(^_^)/~
今夜は、録り溜めたビデオを、消化できそうです。
相変わらず、ピントのぼやけた写真(^_^.)
まるで、白黒写真だわ(=^・^=)
「昭和」を29年・「平成」を30.4年生きてきました。
「令和」を何年生きることになるのかはわかりませんが・・・
分類的には「昭和の人間」でしょうか?「平成の人間」でしょうか?
どっちつかずの「中途半端な世代」です。
それにしても、一時期にくらべると、『平成最後の』という常套文句が減ったんじゃないか?
少し耳に余っていたので、中だるみしたのかな・・・
もう、あと一週間なんだから、再連呼あるんだろうねぇ~。
因みに、私はまだ使っていません!
(おばさん!令和の切手シートが出るらしいよ。)
零把・零羽・零話・例話・0羽・0話・・・・・今のところは、こう来るか!?
なんだろ?スマホの写真、まったくピントがずれているなぁ・・・(・.・;)
良人が注文したらしい・・・!
30分くらいで読めた!
(私は)知っている事ばかりだったけれど。。。
”知っている”から”出来る”わけではない!
久しぶりに、いわゆる「インド映画」を見ました。
唐突な?歌とダンス・・・単純?明快なストーリーは、楽しかったです。
男優さんに、妙な?魅力があり・・・
女優(子役)さんには、素敵な魅力があります。
nonoちゃんが、「いい子いい子」してくれたので、 珍しくbibiが笑っています。
前回見た『予告編』が気になって・・・
本来、あまり「猫の映画」は好まないのだけれど・・・
「脇役」の俳優さん方も気になっていて・・・見に行きました。
これもまた、多くを「猫にまかせて」のんびりとした時間の流れていく物語で、
「タマさん」をとりまく、「ネコ」と「ヒト」がホンワカさせてくれました。
『映画って、いいですね。』
『月に一度、映画館に足を運ぼう。』という。
人生の楽しみを増やすための取り組み?!を始めています。
「宮崎キネマ館」という、街中のビルにある、ちっちゃな映画館です。
いわゆる「メジャーな映画」は、イオン中の「セントラル会館」で上映されますので、
こちらは、いわゆる「マイナーな映画」(失礼!)の上映で・・・席数も少なく、こぢんまりとした佇まいであります。
映画は、60歳からは割引があるらしいのですが、もう少し届いていないので(*^_^*)
水曜日の「レディースデイ(1100円)」に行くことにしています。
新聞で見かけて、気になっていた映画です。ほとんどは、「上映期間」が短いので、
気になっていても観に行けないこともあるのですが、
この映画、評判が良かったのか?!「上映延長」続きで、観る機会に恵まれました。
『ぼけますから、よろしくお願いします。』
内容については語りませんが・・・淡々としたドキュメンタリーで、好感が持てました。(現実は・・・ですが)
エピソード※チケットを買う時に、「”私、ぼけますからよろしく。”を1枚!」と言ってしまって、
自分でおおいに受けました。
エピソード※入場案内が、「”ぼけますから、”始まりマース!ご入場くだサーイ!」に、受けました。
『宮崎 春爛漫』
西都原公園 母智丘(もちお)公園
垂水(だるみず)公園
「クリアアサヒ」おうち花見セットより・・・
待ち長い「発表の時」でしたが・・・ ちょっとうけました(*^_^*) (へぇ~、意外!という感じです。)
(良いんじゃないの!?)
気持ちが「あらたまる」のは、「元日」ですか?「新年度」ですか?!
自分の中でも「違和感」を感じる、自分の本質のひとつが・・・
『(意外に)生真面目』な部分です。
3月31日までは、「俳句」
4月1日からが、「短歌」
『(意外に)不器用』なのか?!あれれ?!
『本質』・・・・・?!
~とあるブログからの”なるほど”~
【ブログは自分の思うことをそのまま素直に表現できる、誰にも
遠慮せず、気遣いもしないで思うがままに書けるところがブロ
グの魅力である。
リアルな私を知っている人で私のブログを読んでる人はいない、
そのことが書き手である自分の精神に与える安定剤の役割は正直
大きい、誰かに読まれることを意識して内容が変わることが一切
ないからである。】