Ferrari 125F-1
(1948-1951年)
代表フェデリコジベルティー
アルベルトアスカリ(伊)
ルイジヴィロレージ
レイモンソメール
Tec.dsnジョアッキーノコロンボ
フェラーリ初のF1マシンであり、1950年に開幕したF1世界選手権にも投入された。
名称の125はエン
ジン1気筒あたりの排気量125ccを表す。(125×12気筒=1,500cc)。
コンストラクタータイトルは制定前。
第二次世界大戦の後、フェラーリはジョアッキーノコロンボが設計したV型12気筒1,500cc
エンジンの開発が進められ、1947年にスポーツカー125Sがレースデビューした。
同年にF1規定のグランプリレースが始まると、
1948年に2,000ccエンジン車166SCのフォーミュラ仕様で参戦し、
次いで純正F1マシンの125F1を投入した。
125Sから流用した1,500ccエンジンにはルーツ式スーパーチャージャーが搭載され、
230馬力を発生した。
シャーシは鋼管ラダーフレーム式で、ホイールベースは短く設計された。
スイングアクスル式のリアサスペンションは挙動過敏でスピンの原因となった。
この時期には125F1のシャーシに166SCと同じ2,000ccエンジンを搭載した125F1/166も存在する。
1949年には操縦性が改善された。
シーズン終盤にはエンジンがDOHC・2ステージスーパーチャージャー仕様となり、
出力は280馬力に向上した。
1949年仕様のマシンは125F1/49と表記される場合がある。
1950年のF1世界選手権シーズンの途中にはアウレリオランプレディ設計の自然吸気式4,500ccエンジンを
搭載した375F1に主力の座を譲った。
125F1は1948年9月5日の地元イタリアGP(モンツァ)でデビューした。
決勝最高は3位。
1949年はライバルのアルファロメオとマセラティがレース活動を休止したため、
国内外で好成績を収めた。
125F1はイギリスの裕福なプライベーターにも販売された。
ピーターホワイトヘッドはワークス不参加のチェコスロバキアGPで優勝した。
1950年はワークスの125F1はモナコGPから第5戦ベルギーGPまで使用されたが、
復帰したアルファロメオの強さに対抗できず2位1回(アスカリ)が最高だった。
1948年式スペック
V型12,60度ターボ。
1,496cc230PS,260㎞/h
SOHC,2V,5速,R1。710㎏。
キャブレター ウェバー40。
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