ティフォシモデルカー美術館

1/43フェラーリモデルカーに特化した個人コレクター美術館です
千台以上所蔵の一部、300台程を常設展示しています

フェラーリ 275F1,340F1,375F1

2022-05-06 | F-1

Ferrari 275F-1,340F-1,375F-1

(1950-1951年)

代表フェデリコジベルティー

Tec.dsnアウレリオランプレディ

1950年

5位アルベルトアスカリ(伊)

15位レイモンドソマー(仏)

13位ドリノセラフィーニ(伊)

-位ルイジヴィロレージ(伊)

1951年

2位アルベルトアスカリ(伊)

5位ルイジヴィロレージ(伊)

6位ピエロタルフィ(伊)

3位フロイランゴンザレス(爾)

-位ジャンニマルゾット(伊)

フェラーリ375F1はF1世界選手権においてフェラーリが初優勝を遂げたマシンとして知られる。

375はエンジン1気筒あたりの排気量を表す(375×12気筒=4,500cc)。

開発順に3,300ccの275F1、4,100ccの340F1、4,500ccの375F1を説明する。

フェラーリは1950年のF1世界選手権にスーパーチャージャー付き1,500ccエンジンの125F1で

臨みながら、次期主力となる自然吸気エンジンの開発を進めていた。

自然吸気エンジンは過給エンジンに比べると出力では劣るが、

燃費が良いためレース中にピットインして再給油する回数を減らすことができるという

メリットがあった。

この路線変更の決断には、前年のベルギーGPで125F1が自然吸気エンジンのタルボラーゴに

敗れた影響があったとされる。

エンジンの開発はアウレリオランプレディが担当し、排気量を段階的に増やしていく方法を採った。

最初に完成したのが275エンジン次は340エンジン。

レギュレーション上限まで拡大した完成形が375エンジンである。

これらはランプレディエンジン(別名:ビッグブロック)と呼ばれ、

レース用スポーツカーや高級GTカーにも使用された。

275F1のシャーシは125F1のものを流用したが、340F1から新シャーシとなった。

1951年にはシリンダーヘッドの新設計、点火系のツインプラグ化により最高出力が380PSに向上した。

このマシンは区別のためフェラーリ 375F1/51とも表記される。

英GPでフロイランゴンザレスの乗る375F1が常勝アルファロメオ159を破り、

フェラーリの記念すべきF1初勝利を実現した。(ゴンザレスは1950年型)。

エンツォフェラーリは古巣アルファロメオに勝った事で“母親を殺してしまった”と吐露。

戦績は1950年、275F1はF1第5戦ベルギーGPから投入されたが、

次戦仏GPでは不調のため出走をキャンセルした。

7月末の非選手権ジュネーブGPで340F1が登場し、9月の地元伊GPで375F1がデビューした。

エースのアルベルトアスカリは途中からドリノセラフィーニのマシンに乗り継ぎ2位に入った。

アルファロメオ不参加の非選手権ペニャリンGPでは1-2-3フィニッシュを決めた。

1951年、オフシーズンの開発により375F1は戦闘力を高め、開幕からアルファロメオと接戦を演じた。

迎えた第5戦英GP、途中加入したフロイランゴンザレスが同郷のファンマヌエル・ファンジオの追撃を

かわして初優勝を記録した。

その後は完全にフェラーリ優勢となり、独GP、伊GPでアスカリが連勝。

最終戦スペインGPはアスカリとファンジオのドライバーズタイトル決定戦となった。

しかし、フェラーリ勢はタイヤを通常の17インチから16インチに替えるという作戦が裏目に出て

タイヤトラブルに見舞われ、ファンジオのチャンピオン獲得を許した。

375F1はフェラーリワークスチームのほか、イギリスのプライベーターチーム、

ヴァンダーベルがシンウォールスペシャルとして使用した。

ドライバーはレッグパーネルとピーターホワイトヘッドが交代で乗った。

1952年シーズンは世界選手権が2,000ccのF2規定で行われたため、

375F1は排気量制限のないフォーミュラリブレで使用された。

フェラーリはシリーズ第2戦に組み込まれていたインディアナポリス500(インディ500)に参戦するため、

オーバルコース向けにホイールベースを延長したフェラーリ 375インディをアメリカに送った。

1952年インディ500はF1開幕時から選手権レースに指定されていたが、

実際に出場したのはフェラーリが最初だった。

これはエンツォフェラーリの旧友でありアメリカでフェラーリ販売代理店を営むルイジキネッティの

働きかけによるもので、375インディの3台に地元のプライベーターが乗り、

ワークスからはアスカリひとりが出場した(予選出走ためF1初戦スイスGPを欠場)。

プライベーター勢は予選落ちし、決勝に進んだアスカリもホイール破損のため序盤にリタイアした。

ドライバータイトルは

1950年

5位アルベルトアスカリ0勝(11P)

15位レイモンドソマー0勝(3P)

15位ドリノセラフィーニ0勝(3P)

-位ルイジヴィロレージ(0P)

1951年

2位アルベルトアスカリ2勝(25P)

5位ルイジヴィロレージ0勝(15P)

6位ピエロタルフィ0勝(10P)

3位フロイランゴンザレス1勝(24P)

-位ジャンニマルゾット(0P)

V型12気筒60°SOHC2V

850㎏,4速R1,ウェバー42

B×S,72×68mm(275F1),

80×68mm(340F1),

80×74.5mm(375F1)

3,322cc(275F1),4,101cc

(340F1),4,493cc(375F1)

300PS(275F1),

335PS(340F1),

350PS(375F1)

280km/h(275F1),

300km/h(340F1),

320km/h(375F1),

F5.50×16,R7.00×16(275F1・

340F1),7.50×17(375F1)



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