Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

受験期

2008年10月29日 | Weblog
私は、自分の大学受験に
失敗した。
憧れていた大学生活と
程遠い大学生活になった。

浪人は、許してもらえなかったから、
18歳のときは、下をむいて、
近所の人に会わないように
通学した。
一年間、裏通りを通って
家に帰った。
私の大学は、そういう人がたくさんいた。
授業中、受験勉強をして、2年目に
大学をうけて、合格した人もいた。
しかし、そういう人は、ごく少なかった。

4年間を屈辱でくらした。
しかし、高校時代、そんなに
優秀だったか?というと
全然、優秀ではなかった。

勉強をしているつもりでいた。
進学校だったから、
その高校にはいれたときは
大変、うれしかった。
この学校に入れたのだから、
大学は、そこそこのところにいける、
とタカをくくってしまった。

大学受験に失敗したのは、
私の力不足である。
しかし、いろんな言い訳を
用意してきた。

ずいぶん、昔のことなのに、
大学受験のこと、あの時期の
人間関係で、傷ついたこと。
それは、私の人生に大きな影響を
及ばしたのは、真実なのだった。

もし、私に子供がいなかったら、
そんなことは、過去のことですんだ。
子供が、受験の時期を迎えると
いやでも、思い出すのである。

子供の人生は、親の人生とは違うと
いうほど、私は、出来た人間ではない。
自分の子供が、あのときの私と同じ年齢に
なったのが、とても不思議だ。

私は、すでに高校生でない。
あたりまえだ。
しかし、心の引き出しの中には、
いつでも、高校3年生の私もいるのである。

苦しいときの自分を忘れることは
できないのだ。




カツラがとれたら・・・・・。

2008年10月29日 | Weblog
漠然とテレビをみていて
「んっ!?」と思った言葉がある。

それは、CMであった。
女性が
「カツラが、とれたことがうれしいです!」と
ニコニコしている。

私の脳裏には、ある映像が
浮かんできた。

それは、某有名人がテレビの番組冒頭
頭をさげたときカツラが、ポロッ!と取れて
落ちたのである。
ネットをみているとき、急にでてきたのだ。
周りの共演者のバツの悪そうな顔。

かつらが、とれたら、うれしいはずがない!

私は、テレビをまじまじとみた。
それは、発毛のCMだった。
だから、正確には
「(発毛して)カツラをかぶらなくても
よくなったことがうれしいです。」
といわないといけないのではないだろうか?

または、
「カツラを(かぶる手間が)とれたことが、うれしいです。」
だと思う。

私は、即座に、子ども達に
「この日本語、おかしい!」と叫んだ。

それから、名探偵コナンは
体が縮んで、子供になったという。

それもおかしい。
高校生が体が縮んだら、
ただの小柄な若者である。

そういうことを指摘するのに、
子ども達は、特に違和感がないらしい。
むしろ、いちいち指摘する私を
うるさい!と嫌がる。

「駅のアナウンスで、
『白線内でお待ちください』は
白線内で、みんながまったら、
狭くてしかたないでしょ。」
これはウケタ。

コナンもちょっとウケタ。
しかし、
「カツラがとれたら、恥ずかしいのであって、
うれしいはずないでしょ。」と
このCMのたび、突っ込みをいれる私を
みんな、無視するのである。

関西の漫才の大御所、
人生 幸朗師匠のぼやき漫才が
私は、大好きであった・・・。

こんな、おかしいことを
野放しにしているなんて、
責任者、でてこい!

と師匠なら、いってくれそうな気がする。