文武両道(ぶんぶりょうどう)とは、文事と武事、学芸と武芸、その両道に努め、秀でていることを指す語。
求道的な評価にも用いられる語である。転じて、現代では勉学と運動の両面に秀でた人物に対しても用いられる。
とのことである。
当たり前すぎる、結構よく使われる言葉だ。
私の母校も、息子が現在かよっている学校も
「文武両道」を謳っている。
私は、高校時代、文化部ながら
クラブを最後までして、現役で大学に進学した。
でも、自分では文武両道ができたとおもっていない。
高校時代は、いろんなことにいそがしい。
恋におしゃれに、レジャー、行事、人間関係。
大学は、見事、志望校にいけずに
いまだに、コンプレックスをもっている。
息子に「文武両道」を強いるということは
それをサポートする私も、文武両道を目指すことである。
今だって、たくさんいきたいところ、やりたいことが
できない毎日。
それを我慢して、息子中心の生活をする、忍耐の日々になるのだ。
息子や娘の進路と活動の両方を支える。
「ああ、しんどい、できる自信がない。」とへこんでいた。
でも、建前だけは、息子にいわないといけないので
「あんたね、文武両道ができるの?」ときいた。
すると、息子はあっさりいった。
「オレ、目指さないよ」
はぁ~!!?
文武片道!
私の頭の中で、新しい言葉が浮かんだ。
そうだ。
現代の高校生だって、忙しい。
携帯やパソコンはあるし、テレビもみなきゃいけない。
友達との交流、遊ぶことも昔より、たくさんあって、
音楽の話題も、自分がした趣味の範囲も広い。
太古の中国(文武両道は、中国の故事から来た言葉だ)
みたいに、勉強するか、武道を磨くかしかない日常ではないのだ。
現代の高校生は、あっさりと、「文武片道」を選んだ。
片道と片道をたして両道にする算段と観た。
うちの子にストイックは、似合わない。
私は、文武両道という、言葉がすきだ。
人間の広さを感じる。
それを目標に人間形成をなしていくのはすばらしい教育指針だと思う。
それに縛られると、「これもがんばって。あれもしなくては・・。」と
パニックになって、駄目になる私がいた。
「文武片道たして、両道」
それくらいのしなやかな心持で、のりきれたらいいのだろうか?
受験の準備が、目の前にみえてきて
あせりはじめた私は、「文武両道」この言葉をこれからも使う。
しかし、言葉に、負けていたのは私だったとおもう。
禅問答のような気がするがそうなのだ、と思う。
私も世の中の親も、文武両道を目指して
がんばることには違いない。
がんばれ!若者。
目指せるあなたたちは、幸せだ。