つながる つなげる

✨🌈I can fly with you🌈✨

大人買い

2023-02-09 19:30:00 | 日記
子供の頃NHKで放送されていた海外ドラマ「大草原の小さな家」が好きです。

当時、小学生だった時は何気なく見ていた記憶がありますが、高校生の時再放送があり、ガッツリはまってしまいました。

主人公ローラに自分自身を重ねてみたり、
父さんのような強い男の人に憧れたり、
母さんのように聡明な人になりたいと意識したり。

毎回見逃さずに見ていたつもりですが、詳細に覚えているかというとそうでもなく・・・

コロナ禍の緊急事態宣言で外出もままらない時、「大草原の小さな家」がシリーズでDVD化されたことを思い出し、検索してみます。。。

結構高い。
買うか買うまいか・・・かなり迷いましたが、

じゃんっ 買ってもうた。。。


THE大人買いです。

届いて開けるまでのドキドキ感。
自分の記憶との答え合わせをするワクワク感。
オープニング曲を聴いたとたん一気に当時にタイムスリップです。

しかし・・・

号泣していたあの回も、神回と思っていたあのお話も、当時と同じ感覚かといえばそうでもなく。

自分自身も歳を重ね、ドラマを見る視点が子供目線から大人目線に変わり、新たな発見がたくさんです。

そして、気が付いたこと。

時代は変わっても、当時の社会問題、現代とほぼほぼ変わりません。

ネズミが原因で起こる感染症で村が大変な状況になった時も、外出自粛で手洗いとバンダナを口に巻き対策をとる・・というストーリーも今と全く同じです。

現代にも通じるストーリー故に、人種問題や宗教問題、養子について等沢山のことを学びました。 

時は1880年代から数十年、今とは随分不便な環境でも、工夫しながら楽しんでいる生活の様子。

朝日と共に起きて、鶏の卵を収穫し、パンを焼き、コーヒーを淹れ、朝ごはんを食べる。

お弁当を持って黒板を手に教会兼学校へ登校する。

父さんはカウボーイハットをかぶってサスペンダーのズボンで馬車に乗って出勤。

母さんは家事を終え、収穫した卵を持って街の雑貨屋に売りに行く。

街の雑貨屋さんには調味料や洋服を仕立てる生地が揃い、カウンターにはキャンディやゼリービーンズなどカラフルなお菓子がガラスケースを彩り、
クリスマスの時期のオーナメントやデコレーション、ほんとになんでも売ってる唯一のお店。

日曜日には教会へ行き、帰りに小川のほとりでピクニック。

アップルパイにレモネード、暖炉にランタン、水差しに洗面器、

レースのブラウスやドレスの色合わせ、花柄、どれも素敵。

私の”好き”がギュッと詰まった西部開拓時代。

以前blogで書いた赤毛のアンに通ずるものがあります。

子供の頃から好きなもの。
キャンディ・キャンディ
不思議な島のフローネ
大草原の小さな家のローラ
赤毛のアン

私の好きなキャラクター、大体同じですね。
お転婆
男勝り
ポジティブ
元気

ある意味私のキャラも勝るとも劣らないかもしれません。

次はキャンディキャンディを全巻揃えたいなぁと思っています。

大人買いを決心できるほど好きなもの・・・皆さんにはありますか?

コメント (4)
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ターニングポイント3

2023-02-06 12:30:00 | シングルマザー
13年前にプログを始めた時は、可愛い娘の言動をメインに子供達の日々の成長を楽しく綴っていました。

そのうち、別居、離婚と暗黒の時代に突入し、
その時その時の苦しい思いをブログで吐き出すようになり…

当時のプログはそれはそれは負のオーラを画面一杯に放っていて、
きっと読んでくださる方のエネルギーをも奪ってしまっていたのではないかと思い、一次封鎖することに。

これまでの経緯を知る友人達は、

「ジェットコースターのような人生ね」

そう形容してくれます。
乗りたくて乗った訳じゃないですけどね。
そりゃぁメリーゴーランドの方が緩やかだし平和だし。
三半規管も衰える年代になったので、
これからはさざ波のような人生である事を願っています。

ジェットコースターの最初の山は何だろう?
やはり結婚でしょうか。

離婚は結婚の何倍も大変と言いますが、
私の場合は結婚もなかなかのもんでした。

と言う事で、今回は結婚の時のお話から。。。

元夫との出会いは6歳の時。
小学校の同級生でした。
私は途中転校したのですが、私が成人式を迎える頃両親が持ち家に戻ることになり、元夫とは成人式で10年ぶりの再会となりました。

ほどなくして付き合うようになり、しばらくしてある事に気が付きます。

元夫が信仰している宗教です。
正確には、元夫の両親が信仰している宗教で、両親が熱心な信者でした。

あちゃー…

まずい。。。
私の両親がまさにアンチだったのです。

私の家は、お正月には神社に初詣。
お盆、お彼岸にはお寺にお墓参りに行き、
クリスマスにはケーキとチキン。
何なら私はミッション系の学校を卒業しました。

という事で、何の宗教をどう信じるかも、また、どう否定するかも特段知識も情報も持ち合わせていませんでした。

両親においては、知らないままただアンチな訳ではなく、それなりに反感を覚えるような、不快な事があったのは知っていました。

両親に付き合っている人がいる事は伝えていましたが、相手が誰なのかは言えず。。。

しかしながら、なんせお互いの実家は同じ校区なので、目撃情報から両親の耳に入るのも時間の問題でした。

「相手の家、熱心な宗教家だって知ってるの?」

母に問われました。

「最近気づいた」

「お父さんには黙っておくから。付き合いの事ちゃんと考えなさいよ」

別れなさいとは言われなかったけれど、遠回しにそう言う意味だと言う事はわかっていました。

果たして宗教を理由に別れる事ができるのか?

今でこそ多様性と言われる時代で、
今同じ問題が起ころうもんなら、、です。

元夫の父親は小さな会社を経営していました。
企業に神棚があるように、事業がうまく行く為に何かにすがり、崇めることは理解できます。

彼の…彼の家系の宗教の事はさておき、
私は彼の一個人のパーソナリティと付き合っているのだ、と思っていました。

ところが、、、

いざ結婚の話になった時、
彼がサラッと言いました。

「入信するよね?」

「…えっ、…なんで?」

それからです。

怒涛の入信攻撃があの手この手で始まり、
なかなか私が首を縦に振らないので、幹部の方、更にその上の幹部の方が登場し、

「あなたも随分頑固ね」

滅多にお目にかかれないらしい、その幹部の方に吐き捨てられました。

「好きな人が信じている宗教なんだから、あなたも同じで良いじゃない」

なんだそれ。

当時私は多分、可愛げのない小娘だったと思います。
もちろん価値観は人それぞれで、結婚を機に同じ道を歩む方もいらっしゃると思います。
ただ私は、納得できない事にはついつい反論してしまう面倒なタイプで…

「彼の側にいて、あぁ、やっぱりそれはその宗教のおかげだったんだね、と私が感じた時に入信するのではダメなのでしょうか?」

「…それはいつのことかしら?」

「…逆にそんな時は訪れないかもしれないということですか?」

それは宗教の中身の問題?彼の力量の問題?
そんな横暴な。。。

彼と2人きりになった時に随分話し合いました。

「私は両親が反対していても、あなたという"人"を見て欲しいと説得してきたけど、
あなたのご両親も、幹部の方も、私という個人ではなく、入信しているか否かが結婚を認める理由になるのなら、
そしてあなたがそれを説得できのないなら、結婚は無理じゃない?
仮に私が別の宗教の熱心な信者で、結婚を機に入信してとお願いしたらできるの?」

「できんね」

即答かよー

(実際にはこんなに落ち着いた話し合いではなく、方言丸出し語気強め…だいぶ端折っております)

それからほぼ毎日、日替わりで誰かが私を説得にやってきて、いい加減私も疲れ果て、
こう毎日納得のいかない説明を聞かされるぐらいなら別れましょう。

とうとう口に出してしまいました。
そもそもこの人は私を守るつもりはないのだな、と。


そんな矢先に発覚したおめでた。。。

当然1人で産む宣言をしました。

小さい時から早くお母さんになりたくて、
たくさんの子供達のお母さんになりたくて、
スタートは早い方が良いと思っていたので、
妊娠がわかった時は嬉しくて嬉しくて。

ただ、そう単純じゃないですよね、さすがに。

どうやら先方はこの用紙に私が記名する事を望んでいるらしい。

記名さえすればこの攻防は終わる。

両親に言いました。

「私がどの宗教を信じるかは私の自由です。
大切なのはどこに所属しているか、ではなく、心の中で何を信じるか、だと思う。
心の中までは誰も奪えない。
知らないまま否定し続けるのは同じ穴のムジナ。
一度自分で確かめてから、どう行動するか決めたいと思います。」

そこまで言うのなら…
父はそれ以上黙り込み、母はおんおんと泣き、、、
親不孝な娘でごめんなさい。。。

そんな思いをしてまで結婚した私が、
いっぱしのことを言い放った私が、
そんなに簡単にドロップアウトできるはずがなく…
(今思えばただの"意地"ですね)

それが故に、必死で結婚生活を続けました。
そしてなんだかんだありつつも、
3人のお母さんになる事ができました。

しかし、この宗教が後に子供達を苦しめる事になるなんて、この時は想像すらできませんでした。

最近宗教二世について取り沙汰されていますね。
信教の自由は侵されてはいけない権利であるとともに、精神的呪縛などはもっての外だと思います。

いったいどんだけ引き出しあんねん、、な今回は宗教の経験談でした。

経験は、強みです

見出し画像は5冊目となった御朱印帳です。
神社仏閣を訪れて、歴史を学び、感謝する事は深いなと感じます。
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あーちゃんの武勇伝

2023-02-05 17:30:00 | 日記
少し重い話題が続いたので、
ここであーちゃんのほっこりタイムです。

数々の武勇伝を持つ娘のあーちゃんですが、
今回は3歳の頃のお話です。

保育園では毎日"れんらくちょう"にその日の様子を保育士の先生が書いていてくださり、私も家での様子を書いて、交換日記のような、当時の育児日誌として大事な宝物となっています。

そのれんらくちょうに記載されていた印象的なものをご紹介。



人のことはいいと!!

一喝です

えっと、あの、その、家での私の様子がバレバレです。

そしてほんとに子供はよく見てますね。

1日にたくさんの子供達の保育を行い、
その中でこのトピックを伝えようという担任の先生の感性に、今更ながら感動と感謝です。

ノート上とはいえ、先生との対話が、子育てに対する迷いや不安な気持ち、働きながら預ける事のジレンマ等、いろんな気持ちを払拭させてくれていました。

今はアプリでデジタル化されているところも多いと思いますが、温かみのある字面から伝わるものもあり、やはり何よりの宝物だと感じます。

感謝


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ターニングポイント2

2023-02-04 12:30:00 | シングルマザー
あなたの強みは何ですか?

いろんな場面で問われる事がありますね。

私が思う、私の強みは、私が経験してきた事でしかない。
そう思っています。

決して望んで、好んで、経験したくてしたわけじゃない事でも、
そんな経験ならいらんわ、、と思う事もあるけれど、
そんな経験すらも、強みにしてしまえば、ネガティブな経験にも価値が生まれる。

ただ、それには若干時間がかかる、、というのが難点ですが。

でもいつか、必ず、自分の強みになる。
必ず。

さて、12年前に離婚した時のお話しを、少し俯瞰的に書こうかな、と先日ブログにアップしたところ、反響があったので、少し続けたいと思います。

小さな子供達にとって、両親が揃っている事は、心の健康を保つ為に、心の成長の為に必要だと、当時は考えていました。

夫として、
父親として、
大人として、
人として、どうあるべきか、、

元夫とは異次元にいるような話し合いしかできませんでした。

離婚について、どうしてそこまで動けたのか?
時々聞かれる事があります。

「子供達の中にこれ以上"人を憎む"という感情を持たせてはいけないと感じたから」

これが私の原動力となりました。
そのきっかけを作ってくれたのが、
そして、"私は私のままで生きていけ"と教えてくれたのが、
長男の一言でした。

悲痛な叫びを秘めていた当時12歳の長男が、自暴自棄にならずに済んだのはなぜか。

小学1年から少年野球に所属し、中学から硬式のリトルリーグではなく、野球部の情熱溢れる顧問の先生の指導を受けたいとの思いで、中学野球部に入部し、結果的に、危うく脱線しかねないもろい長男の車輪をなんとか外れる事なく、壊れる事なく引っ張ってくれました。

安心の場であるはずの家の中で起こる数々のストレスを野球に打ち込む事で随分発散できていたのではないかと思います。
それぐらい、ハードな部活でした。

この長男を救ってくれた野球部が、後に更に私に難題をふりかけてくれる事になるのですが、それはまた別の機会に。。。

当時長男は中学1年生。モラトリアムの時代突入、アイデンティティの確立へと着実な成長を見せ始めていました。この事は元夫にとって、大きな誤算だったのではと思います。

やっと離婚の決心がつき、すぐ動かなきゃと思ったと同時に、相手は異次元の人物です。
まともに太刀打ちできる相手ではありません。
子供達が不利にならないように、慎重かつ迅速に対応する必要がありました。

何からすべきか。。。

私もまた会社に行く事で気持ちを切り替えられ、辛うじて自分を保つ事ができ、それ故に判断を見失う事がなかったような気がします。

まずは市の相談窓口を調べて電話しました。

「はい、市の相談窓口 担当の○○です」

げっ。
特徴のあるその○○というお名前、、
市役所にお勤めのご近所さんでした。
あかんやん

「あ、すみません、間違えました」

思わず切っちゃいました。

そして、やはりここか、と児童相談所に電話しました。
ドキドキ…

優しい口調の女性の方が電話に出られました。
事の経緯をお話し、
「私は何からすべきでしょうか?」

「大変でしたね。お母さん、すぐにシェルターに行けますか?」

えっ…シェルターって。
ほんとにあるんだ…

「今は行けません。あの子から野球を取り上げるわけにいかないので」

「お母さん、何を言ってるの?お子さんがもう既に訴えているんですよ?」

「ええ。そうなんですけど、あの子が自分を見失わない為にも、今あの子から野球を取り上げる事は出来ないんです」

「とにかくよく考えてください。何かあればすぐに連絡くださいね」

ふむ。

どういう手順を踏めば、子供達を正当に守れるのか。子供の福祉において、活用できる制度があれば、、と思って聞いたつもりだったのですが、最初の段階で意見が合わず。。。

恐らく、元夫との離婚は、裁判になるだろう事は容易に想像できていました。
その時に、こちらが不利になる状況、情報、事案を作りたくない、その為の正攻法を知りたかったのです。

逆に元夫はたくさんの事案を作ってくれていたので、客観的に見れば勝てる裁判…のはず。

離婚を決意するまでに離婚にまつわる様々な本を読み、もちろんドラマの離婚弁護士1.2も制覇し、知識だけは増えていましたが、ゴールまでの手順。これは人によって違うので、マニュアル通りに行かず、そこを誤ってはいけないと思っていました。

続いて、県の女性相談窓口に電話しました。
こちらは軽く事の経緯をお話しすると、一度直接お話しを伺いたいのですが、という事で、仕事終わりに面談の予約をしました。

ふぅ。。。
この頃になると、寝なくても体が保つような感覚で、常に脳が働いているような、、すごいテンションで過ごしていました。
自ずと体重も減っていき…離婚あるあるですね。

定時で終われるはずなのに、私の都合に合わせて19時から面談をしてくれるという。

ひっそり静まり返った薄暗いフロアを抜け、新設された新しいビルの匂いが私の初めの一歩だよと迎え入れてくれている、そんな気がしました。

面談室のドアを開けると、3人の女性の方が座って待っていました。

そのうちの1人の方が、臨床心理士だと紹介され、あぁ、私のメンタル面を判断されるのかな、と思い、努めて冷静に、感情的にならずに、順序立てて伝える事を意識しました。

一通り話終えると、、、

「お母さん、まずはお家を出る事から考えましょうか。
そして、離婚に向けて調停の申し立てを同時進行で。」 

「あの…通常こういう話をした時、両者の意見を聞かないのでしょうか?
私が一方的に喋って、夫の事を事実より誇張して話したり、自分の有利になる事だけしか述べなかったり、という事があるかもしれない中で、元夫の言い分もあるだろう中で、どうして私の言っている事が事実だと思われるのですか?」

適当に返事をされていると感じた訳ではないのですが、公平かつ正しい判断に基づいてのアドバイスなのかが知りたくてお尋ねしました。

すると、相談員の方は、

「あなたを見ればわかります。
仮に裁判になったとしても、今ここでお話しされた事をそのままお伝えすれば、大丈夫です。」

嬉しかったです。
見ず知らずの方が、たった今私の話を聞いて、私の言う事を信じてくれた。
それだけでとても救われた気がしました。

そして相談員の方は、続けて

「それから、、、
ご主人は人格障害です。
弁護士さんの力を借りて乗り越えてください」

人・格・障・害

唖然としました。
と同時にスッと腹落ちしたような、妙な納得感があり、長年感じていたなんとも言えない感覚はそう言う事だったのか。
初めて耳にする言葉でしたが、パーソナリティ障害とも言われ、元夫の育った家庭環境が大きく影響している事はなんとなくわかっていました。
それ故に、私がなんとかしなきゃと思っていた部分もあります。

でも今は3人の子供達の母親で、私が守るべき相手は子供達。

「ありがとうございます。」
私は何度も頭を下げて、子供達を預けている実家へ急ぎました。

ただいまー!


こうやって振り返ると、私は会うべき時に会うべき人と出会っていたのかなと感じます。

人生は選択の繰り返し。

1日の始まりから既に、
時間通りに起きるか起きないか。
ウォーキングに行くか行かないか。
おはようと挨拶するかしないか。
朝ごはんを食べるか食べないか。等々。

どちらの道を選ぶかが分かれ道だとして、
行動を起こした方に分がある気がします。

そしてこの行動を起こす事が結果的に自分を自分らしい人生に導いてくれているのだと思います。

就職活動、転職、仕事を見つける上で問われるあなたの強みとは?

今ちょうど3人の子供達がその渦中にいます。

世の中経験したもん勝ちです。

自ら動いてたくさんの経験をする事がきっとあなたの強みになると信じています。

動けば運も筋肉みたいについてくる

ゲッターズ飯田さんの言葉ですが、体育会系で育ってきた3人の子供達にはフィットする言葉だな、と。相談があるといつも最後にこの言葉を伝えています。

〜つながる つなげる〜
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ターニングポイント

2023-02-02 20:30:00 | シングルマザー
「俺が100%バックアップするけん、頼むからアイツと別れてくれ。」

"アイツ"とは…

離婚した元夫であり、
3人の子供達の実の父親のことです。

当時中学1年の長男にそう言わしめてしまった。
母親としてはなんとも面目ない。。。

長男が父親を「アイツ」と呼ぶには、それなりの理由がありました。

この長男の一言から私の人生は大きく舵を切る事となり、
そこから起こるたくさんのいろんな経験が更に私を成長させてくれる事になります。

「…だよね。そう言いたくなるよね。
わかった。決めたから。すぐ動くね。」

子供達を守る為、
元夫にバレないようにアパートを探し、
引越しの日をXdayとして、大事な書類、捨てられては困る物等を、スキを見て実家に持って行き、粛々と準備を進めていました。

そんなある日、

「いつ離婚するん?!すぐ動くって言ったやんか!!」

目に涙をいっぱい溜めて訴える長男。
とうとう長男に限界が来てしまった。

というよりも、下2人の子供達も、私も、とっくに限界だったのです。

そして、これ以上元夫と一緒に生活する事は出来ないと思い、Xdayを待たずして、家を出る決心をしました。

決心した日の週末。
元夫が飲みに行くと出かけた。

今しかない。。。

心臓がものすごい速さで鼓動するのを感じながら、私は子供達を呼び集めました。

「今からおばあちゃんの家に行くからね。
ランドセルに教科書、ノート全部入れてね。
体操服や絵の具も持ってね。急いでね!」

子供達の当面の着替えをキャリーに詰め込み、
自分の荷物も詰めなきゃ…

時間がない…

「ママ、ジャックは?」

あーちゃんが愛犬を抱っこして聞きに来ました。

「連れてくよ

心配そうなお顔に一瞬笑顔が戻ります。

いつものお出かけならお留守番のジャック。

ただならぬ雰囲気に、いつものお出かけじゃない事を感じ取ったのでしょう。

そして母に電話する。

「急遽、家を出る事にしたの。
予定より2週間ほど早いんだけど、2週間だけ居候させてもらえませんか?」

こんな風に心労をかけてしまう娘で申し訳ないと思いつつ、とにかく今は助けてもらうしかなく。。。

かくして、この日を境に、私達4人と元夫とが一緒に生活する事は無くなり、
と同時に、離婚するまでひたすら「辛抱」の日々の幕開けとなりました。

予定外に家を出た事で、まずは3人の子供達の担任の先生にご一報。

それぞれ連絡帳には書いたけど、読み手も驚くヘビーな内容なだけに、電話で補足します。

実はかくかくしかじかで…
父親が迎えに来ても引き渡さないようにお願いします。
恐らく気持ちも不安定になっていて、生活面にも現れるかもしれないので注視していただけたら助かります。

そんな事を伝えた気がします。
学童の先生にも同様にお願いして…

中学校、長男の担任の先生に電話する。

長男の担任の先生とは偶然苗字が同じで、入学式の日に「似た名前やなぁ〜」と大きな手で頭をポンポンとしながら親しげに話しかけてくださり、信頼できる印象を持っていたので、

"長男を助けてください"

そんな気持ちでお話ししたのを覚えています。

すると先生は、、、

「お母さん、ちょっと立ち入った事かもしれませんが、ご家庭がそのような状況になったのはいつ頃で、決心されて動き出したのはいつ頃ですか?」

「お恥ずかしい話ですが、実はずっとそういう思いを抱えていて、明らかに修復出来ないな、という状況になったのが7月ごろです。息子から悲痛な訴えがあったのは11月中旬でした。」

そう説明して、ブログの冒頭で紹介した男気溢れる長男の言葉を伝えました。

「あぁ…。
そうだったのか。全て合点がいきました。
長男くんのこれまでの学校での様子、全て一致します。
そうか、そうだったのか。」

電話の向こうで深く納得されたようで、
先生は2回"そうだったのか"を繰り返した後に、

「長男くんはきっとお母さんを守りたかったんですね。」

そう言われて、、
張り詰めていたものが一気に崩れ、電話口ではしばらく私の嗚咽だけが響いていました。

「お母さん、一緒に頑張りましょう。」

長男の担任がこの先生で良かった、今でもそう思います。

その2週間後、無事アパートに移り、私達4人の生活が始まりました。

何も無いけど、そこには確実な事が1つ。

「安心できる場所」

子供の福祉において、何より重視されるべき事項。

これを確保する為に、私は全力を尽くす。

アパートに引っ越して、まずは時計が無い事に気がつき、時計を買いに行きました。




優しい雰囲気の壁掛け時計です。

ここに小さくフレーズが載っています。

I can fly with you

アパートの小さなテーブルで宿題をしていた長男が、ふと時計のフレーズを読んで、どういう意味?と尋ねました。

「そうだなぁ。。。
直訳はわかるよね。
"私はあなたと飛ぶ事ができる"かな。
でも、お母さんの意訳は、、
"あなたとならなんでもできる"かな」

「ふうん…。」

長男は再び宿題に目を落とし、宿題の続きを再開。

私はそのフレーズをしばらくしみじみと噛み締めていました。

子供達がいれば、なんでも乗り越えて行ける。

ちょうど12年前の2月の出来事です。

先日25歳の誕生日を迎えた長男。
今年の目標は?とお正月に聞いたところ、

「結婚かな」

げっ お金無いのに結婚するの?
まぁそこは私の口出すところでは無いけれど、
ひとまず結婚に対してどうやら失望はしていないらしい事がわかったのでそこは良しとします。

今でも80%‥90%?バックアップしているのは私の方ですけどね?

でもあの一言が無ければ、ずっともがいていたのかもしれない。

元夫には、3人の子供達のお母さんにしてくれた事、ここの感謝に尽きます。
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