明日目の治療入院。最近よく入院する。転んだり、気を失ったりで。
この十四五年は日本難病で悩まされている、決して良くならない病気、もう仲良くなるっしかない、難病と。
この十数年しびれと痛みと戦ってきた、まだ勝負はわからない。
買っても負けてももう何の意味もない。残された人生この難病と2人三脚。
生きれるだけ生きてみよう、途中またいろんな体力的問題やら、製品的問題もあろうが。
最近は庭に手入れに懸命になっている。
私は親も妻も天上人になっているし、子供たちももう40を腰いてしまった。
もう何も心配することはない。
明日は店名を待つのみ。
初めて見たはなです。庭には今、こすもす、朝顔、ひまわり、明日葉、大葉の種を植えている、夏と秋が楽しみだ。

私の前をピカピカの1年生行く、ランドセルに亨通事故に注意と書かれていた。仲良く4人で信号待ちをしていた。
私の小学一年生の頃は両親と別れ五島列島の最果てにて、野山を超えて学校へ行ってた。
車などバスが一日4回くらい見たろうか。
道路は馬車が走り、牛が荷を載せて歩いていた。
牛は普段は優しい友人であった、が一旦牛が機嫌悪いと怖かった。馬は1馬力、牛は3馬力くらいはあったのでは。
まだのどかな田舎であった、そうだ水車小屋もあった、毎日コトコトコットンと水車は毎日働いていた。
あの頃の小学校に咲いていた八重桜がとても綺麗であった。ただただ懐かしい。
この少年たちが健康である事を心から願う。

私の前をピカピカの1年生行く、ランドセルに亨通事故に注意と書かれていた。仲良く4人で信号待ちをしていた。
私の小学一年生の頃は両親と別れ五島列島の最果てにて、野山を超えて学校へ行ってた。
車などバスが一日4回くらい見たろうか。
道路は馬車が走り、牛が荷を載せて歩いていた。
牛は普段は優しい友人であった、が一旦牛が機嫌悪いと怖かった。馬は1馬力、牛は3馬力くらいはあったのでは。
まだのどかな田舎であった、そうだ水車小屋もあった、毎日コトコトコットンと水車は毎日働いていた。
あの頃の小学校に咲いていた八重桜がとても綺麗であった。ただただ懐かしい。
この少年たちが健康である事を心から願う。

若い頃よくUKへいった。
最初に行った時、イギリスの重い歴史を感じたから。
イギリスの表も裏も見て回った。大英美術館は一度も訪ねてはいないが、テートモダンには行くたびに訪ねた、現代美術を主に掲げている。
パブもよく行った、最初の頃はパブはあちこちにあったが、今は少なくなって、多少寂しくなった私。
パブはいろんな人が、いろんな国の人が沢山いて楽し買った。
イギリスの田舎は私の心を癒してくれた。時間がゆっくりと流れていた。
Cots wolds 地方は素晴引い田園風景に心打たれた。二度訪れた。
写真はバイブリー地方のもの、この川には沢山の鱒が泳いでいた。
家々はハニーストーンで建てられていた。

また訪れたい。