遊び半分・面白半分

脳梗塞により左半身麻痺になり現在リハビリ中、健康回復日誌

三年半経過

2008-05-13 00:23:47 | Weblog
5月12日
 脳梗塞になり左半身麻痺となりリハビリを始めてから、この五月で、三年半が経過した。今では日常生活も普通に出来るようになった。が、完全に元の状態にはほど遠い。外から見れば普通の人と代わりはしないだろう。内から見れば出来ない事だらけだ。医療関係者は言うだろう「麻痺は残る」と。だけど、私は完全復活を目指している。好きなことをしたいために。好きなことが出来るようにするのが、「リハビリ」なのです。生きる価値はどこにあるのか?ただ生きてりゃ良いというものじゃないでしょう。楽しく生きたい、ただそれだけ。そのためにリハビリをしています。
 外から見ると、90%以上回復していると見えるかもしれない。走れます。10k以上も連続して歩けます。バドミントンも中級の下くらいでやれます。右手袖のボタンも留められます(左手が不自由だと、留められないのです)。だから、90%以上になると思う。
 内から見ると、左足は素早い動きについてこれない。バドミントンでラリーが続くと動きが鈍いのです。左足が動かなくなるのです。某筋肉のある部分に神経が伝わらない空白部分を感じるのです。そこが動かないのです。だけど鈍いながらでも動かします。そうしないと動くようにならないから。
 左手は、トーンチャイム(ハンドベルのスティック版みたいなものです)で音階をします、一人で両手を使って。握って、振って、置いて、次のを握って、振って、置いて・・・・ こんな単純な動作なのに長くは出来ない。手の動きは、握って、振って、置く。単純です。振られたチャイムの音は美しいメロディーになります。この動作をするとどうなるか、最初は簡単に出来ます。続けるうちに、個々の動きが悪くなり、メロディーを維持しようと必死になり、左手が硬直してきます、そして左肩が上に上がってくるのです。そうなると音楽はストップです。ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド。たったこれだけをしただけで、このざまです。だから、リハビリに行きます。指先だけを使う作業をしても同じような状況です。だんだん肩が上がっていきます。すると、左手全体に変な力が入ってきます。簡単な動作でも、変な所に力が入って動きずらくなります。動かないわけではないけど、大きな力が必要になり、本来の動きではなく、偏った動きになるので作業は中止です。
 10日の午前、脳が遊び始めた。頭に鉢巻をしたような感じになった。何が起こったのか?初めての経験だ、つまり未知との遭遇。結構強い鉢巻だ。鉢巻が強いからといって、考えることができないわけではない。バドミントンもした。強い鉢巻感は夜寝る時もあった。不安もあったが、なす術は泣く、朝目が覚めることを祈って寝た。前頭葉の右部分と左側頭部の後ろ側を強く感じている。左脳で感じるようなことは、普段は無い。だから不安になるのです。朝目が覚めた時、鉢巻の状況をチェックした。無くなってはいない、あるけど前の日よりは軽くなっていた。後ろ側の鉢巻が無くなっている。前頭葉はまだ何かをやっている。何をやっているのだろう。
 脳梗塞は脳が壊れたのであって、身体(筋肉)は正常なのです。脳からの指示がこないので動かないのです。脳は他人の指示で成長はしません。持ち主本人の指示しか受け付けません。やりたいと思えば出来るようになれる。やらなければ出来るようにならない。死んだ脳細胞は再生されます、が、今迄努力して集めてきた情報は再生されません。新しい細胞で再生されるからです。筋肉を動かす情報が消えてしまっているから動かないのです。
 そして三日目の朝には、鉢巻感は消えていた。リハビリの日だった。ある作業療法の項目を始めた時、以前より簡単に作業をこなしているのに気がついた。今までの努力の一部が報われたのだ。うすーい皮が一枚むけたのだ。だけど終わったわけではない。新たに出来ない事が見えるのだ。以前より難しい課題が見えるのです。もうやり続けるしかないのです。自分が納得できるまで!中途半端だと結局は出来ないのと同じなのだ。
コメント
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