釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

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雑談:映画『麦秋』(小津安二郎)

2012-05-02 12:03:31 | その他の雑談
この世のまぎれもない事実の一つは『時は過ぎ行く』ということだ。この事実だけは誰も逃れられない。この事実を研ぎ澄ました感覚で映像表現したのが小津安二郎の『麦秋』という映画だ。

この映画は1951年の製作だから、もう60年前の映画だが今観ても何の古さも感じさせない。それは当然なことだ。『時は過ぎ行く』はいつの世にも真実だから。

小津安二郎自身がこの映画について、『ストーリーそのものより、もっと深い《輪廻》というか《無常》というか、そういうものを描きたいと思った』と語っているそうだ。《輪廻》にしろ《無常》にしろ、結局は『時は過ぎ行く』ということだろう。

小津映画独特のあのマニアックと言ってもよいような時間と空間の映像感覚は、この映画で極まれりという印象を私は持っている。

世評の高い『東京物語』よりも私はこの『麦秋』をより高く評価する。それは、『東京物語』に描かれた人事よりも、もっと高次な主題をこの映画は提示しているからだ。

その主題は即ち『時は過ぎ行く』ということだが、その主題は映画では暗喩として表現されていて直裁には表現されていない。そして、この映画には常にある諦観も底流している。『時は過ぎ行く』という真実への諦観が暗喩として映像表現されている。

その暗喩映像とは・・・それは老夫婦が見上げる初夏の空と雲であったり、カラカラと回る風車であったり、少年たちが海辺の道を歩くときの白い波であったり、又この映画のラストの麦秋の中を遠く行く花嫁たちであったり・・・

鳥の餌(えさ)を買いに出かけた老人は線路傍の石に座って電車が通り過ぎるのを待つ場面がある。電車が通り過ぎても老人は初夏の空の雲を見続ける。この老人の心の内にあったものは『時は過ぎ行く』というものの諦観に違いない。そして、この諦観は恐らく私たちにも、いずれは訪れる諦観であるはずだ。

http://www.youtube.com/watch?v=u-_gmKZmFyI