釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:『3ポンドの宇宙・脳と心の迷路』(その4)

2012-08-02 14:58:22 | その他の雑談
いままで書いてきたのは、もう20年近い前のこの本の感想文だ。
この本は、著者たちがインタビューした、ある脳神経学者の言葉を紹介して終わっている。著者たちはその神経学者に、こう質問した。

『アインシュタインその他の物理学者は宇宙の法則について思索しているとき、ほとんど宗教的といえるような畏敬を感じたと述べています。脳についてもそのように感じましたか?』

この質問についての、その神経学者の言葉も実に印象なので、それをここに付け足しておこう。

『脳について畏敬は感じませんが、神には畏敬の念を覚えます。わたしが脳に認めるのは宇宙の美とその秩序ですーーー神の現存することの揺るがぬ証しです。私は脳が宇宙のあらゆる物理法則にしたがうことをいま学んでいます。脳は特別なものじゃあありません。それでいて宇宙でもっとも特別なものです。』

何度も書くが、この本が出版されたのは20年以上も前だ。今や脳科学の当時よりも格段に進歩しているだろう。だから、この本に書かれていることには、だいぶ訂正すべきこと、あるいは付け足すことが多いと思う。
しかし、まんざら間違いだけではないだろう。ともかく圧倒的に面白い本であることは確かである。著者たちが、もう一度奮起して、この本の改訂版を出版してもらいたい。特に、この本の最終章の『カオス、ストレンジ・アトラクタ、そして意識の流れ』という主題の更なる進展を是非読んでみたい。

この本の序文『汝自身を知れ』でアイザック・アシモフはこう書いている。
『私たちは脳を用いて脳を理解しようとしている。あるものが、それ自身を理解することは可能か? 脳の複雑さは脳の複雑さを理解できるのか? 』

脳科学は格段に進歩し続けているのだろう。しかし、20年前よりも格段に脳科学の知識は増えているだろうが、もしかしたら更に混迷へと深みに入っているのかも知れない。

私は前記したアシモフの言葉から、なんの脈絡もなくゲーデルの不完全性定理を連想する。人間の脳は自身の脳を完全に理解できるのか? 例えば蛇が自身の尾を飲み込んでいったら最後はどうなるのか?

雑談:『3ポンドの宇宙・脳と心の迷路』(その3)

2012-08-02 14:56:04 | その他の雑談
何故動物は夢をみるのか、ということの説明で、この本で紹介されていない他の説明がL.ワトソンの『生命潮流』という本に書かれている。

それは、そもそも、睡眠とは動物をジッと静止させておく“固定剤”の作用をさせるものでもあるというのだ。動物にとって外界をウロウロ動き回るのは、必ずしも有利なことではなく、隠れ場所でジッと動かずに居ることが有利な場合もあるわけで、そういう一個所での静止状態を保つために睡眠が発達していったというのだ。

そしてREM睡眠即ち夢をみるということは、睡眠中に危険な場合に遭遇したとき直ぐ行動に移れる用意だというのだ。夢とは、いざというときのために体にエンジンをかけておくというわけだ。

睡眠の期間中、定期的に現われる夢とは『動物を動かない状態にしたまま、なおかつ目を覚ます準備態勢をとらせる警報装置』だというのである。

このように、たかが夢といっても、いろいろな役目があるようで私は驚いてしまう。夢のいろいろな学説も、たぶん、それぞれ正しい面があるのだろう。夢は一筋縄ではいかない複雑怪奇な現象ようだ。

この本に書かれている更に興味深い話はカルフォルニア大学のゴードン・グロバスという学者の“実存的精神医学”に関連する話。これは難解で、この本で読んでもよく解らないが何か興味深い。以下その不可思議な魅惑的な“学説”を紹介しよう。
夢とは我々の昼間の出来事の反映などではなくて、夢は一つの独立した実体というのだ。荘子は蝶になった夢をみたそうだが、荘子のジレンマは、実は我々の実存的なジレンマなのだ。つまり『わたしは蝶になった夢を見ている人間なのか、それとも人間になった夢をみている蝶なのだろうか?』というわけだ。

『私たちが知覚する世界は全てアプリオリに脳の中に存在する。いま、私たちが見ている世界はこの無限のアプリオリな貯えの中から選ばれたものです。・・・夢は限りなく創造的です。何故かというと夢を見る機構は脳の無限の貯えから私たちがそれまで見たことのないものを選びとるからです。』

『私たちは全員みな同じ世界を知覚しているというが、しかしブラックホールと呼ばれる奇妙な天体から、それと同じぐらいに奇怪なクオークにいたるこの宇宙が壮大な集団的な”夢”である可能性もある。』

『私たちが現に知覚しているようにものごとを知覚するのは、ホモ・サピエンシスの脳がそのようにできているだけのことかも知れない。神の脳あるいは別の進化をとげた地球外脳は異なる宇宙を”構想”するだろうか?』

私はこういう煙りにまかれるような話しは大好きであるが、しかし本当にこの世界は”客観的”実在世界なんてもんじゃあなくて、私の脳が”勝手に”創り上げた幻想なのだろうか。そうかも知れない。一切合財、夢のまた夢。この世は私の脳の幻覚!

雑談:『3ポンドの宇宙・脳と心の迷路』(その2)

2012-08-02 14:54:16 | その他の雑談
胎児も子宮の中でREM(急速眼球運動)つまり夢をみているそうだ。新生児も1日の約半分は夢をみているそうだ。犬や猫も夢をみているらしいのは私は経験的にわかる。連中も寝言云うときがあるからね。その寝言もワンとかニャーの変形音を発するのですから笑ってしまう。 ところで何故、哺乳類は夢をみるのだろう? この本によればその説明にはいくつかの学説があるそうだ。

学説その1:フロイトの考えで、夢とは心の安全弁であり超自我の眼を盗んで、危険でタブーになっている感情のこもった、あるいは矛盾するメッセージをこっそり伝えるものである。昼間の出来事の記憶痕跡は、頭蓋骨内の太古の森のなかで我々の深い暗い過去から引き継いだ“退行性素材”と入り混じる。などなど・・・
学説その2:心理的平衡を保つのに夢が必要である。例えば、昼間、侮辱を受けて自尊心を傷つけられたときには、夢の中で自我の価値を高めて補償しようとする。

学説その3:夢は記憶の固定化に役立つ。哺乳類の脳は既成の神経連結を全く持たずに生まれ、経験に頼って意味あるパターンを織り上げる。夢の仕事は経験を再現し重要なシナプス連結を強化することにある。 爬虫類や魚が何故夢をみないかは、その理由による。また試験勉強したあとは寝て夢をみるのが良い!

学説その4:学説その3と全く逆。いわく、我々は忘れるために夢をみるのだ! (この学説が私はおもしろい。) 人間の情報貯蔵には上限があるのではないか。ときには別の、もっと有用なパタ゜ーンを納める場所を作るために我々は記憶を“消去”したほうが良い場合もあるのでないかというのだ。

ある学者たちが、この学説を確認するためにコンピューター・シュミレーションを行なったそうだ。そのモデルやアルゴリズムはよく分からないが、そのシミュレーション結果によると、神経網がむりやり多数重なりあったパターンを押し付けられて過負荷になった“脳”はなんと“発狂”したそうだ! 
『彼らの新皮質網モデルは、気ままな活動様式を呈し奇怪な連想・幻想的なシリコンのたわごとを印刷して吐きだした。ときには、“とり憑かれた”ようになり、同じ記憶を幾通りも変えてもち、あるいはどんな刺激に対してもほんのわずかの記憶だけを印刷するという反応を示した。』

人間のシナプスの大部分は興奮性で混線した神経回路網は発振しやすいということでもあるらしい。発振というのは電子回路などに現われる現象で、回路網に正のフィードバックが形成されてしまい、入力信号がないのに自身で勝手気ままな出力を出す誤動作状態だが、増幅器などの電子回路を設計した人なら誰でもこの発振現象に苦しめられているはず。

てんかんなども脳の神経回路網の発振現象のようで、人間の脳も電気会社の実験室のなかの電子回路も同じ自然現象に苦しめられるというのは、あたりまえの自然現象であるかも知れないが、しかし、ちょっと妙な気分になる。

この学説によれば、夢は心配ごとというもつれたモノを繕っているのではなくて、もつれを“ほぐしている”神経網の一瞬の影だということだそうだ。だから夢とは生体が破棄しようとしている記憶パターンだから、夢を更に記憶するのは勧められることではないということにもなるそうだ。そういえば、あまり夢というのは憶えていないものだ

雑談:『3ポンドの宇宙・脳と心の迷路』(その1)

2012-08-02 14:50:56 | その他の雑談
(ジュディス・フーバー、ディック・デイック・テレシー著、白揚社)
この本の初版(英語版)は1986年で、日本語訳が出版されたのは1989年。この本を私が初めて読んだ(日本語版)のは、'89年の師走だったが、もう20年以上過ぎた。この本は実に面白い本で翻訳もとても読みやすい。(林一という人の訳だが私はこの人のファンだ) この本はその後何回か再読している。我が僅かな読書歴でこの本はベスト3には入る。

素人ながら私は脳に興味があって、その後いくつか脳に関連する本を読んだが、この本に比べると正直退屈だった。私はこの本の改訂版を長く待っているのだが、どうも適わないようだ。

この本は“脳と心の迷路”という副題がついているように脳科学にまつわる、いろいろな話が平明に語られている。著者たちは脳科学の専門家ではなく一般科学書のライターのせいか語り口が新聞の科学記事のように具体的で分かりやすい。著者たちの視点も我々脳科学の素人の視点であり脳科学の単なる解説に終わっていない。

この本『3ポンドの宇宙』は科学ものだから言わば賞味期限を今や過ぎているだろう。著者たちの脳科学への取材が始まってから、もうかれこれ20年以上になるから、その間、脳科学も相当進歩しているのだろう。しかし、この本は脳科学のただの解説に終わっていないので現在の再読にも耐えられと思う。

この本が余りに面白かったので、この本の感想文を昔あるバソコン通信の掲示板にupしたことがある。何回かに分けて感想をupしたのだが、そのうちの一つがたまたま残っていた。それをここに再upしておこう。それは、この本の第11章『荘子と胡蝶=夢と現実』の感想だ。感想というより、この章に書かれていることの紹介だが大変面白い。