釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:一つの映像詩

2013-09-29 09:06:05 | その他の雑談
映像詩という語彙が一般に有るかどうか私は知らない。

もし有ったとしても此処で私の言う映像詩とは意味が異なるかも知れない。

映像詩とは・・・映像(例えば映画のような。)を、吾人をして鮮明に連想せしめる詩である。

従って他の人は異なる意見があるかも知れない。
ともかく以下の詩は、まさしく映像詩である。
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 いにしへや、
かゝる山路に 行きかねて、
 寝にけむ人は
ころされにけり

 雨霧のふか山なかに
息づきて
寝るすべなさを
 言ひにけらしも

山がはの澱みの 水(み)の面(おもて)
 さ青(を)なるに
死にの いまはの
  唇(くち) 触りにけん
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此の詩の作者は釋超空である。

それを聞いただけで、人は或る種の色彩を・・・映像を既に連想するに違いない。
それは其の人の自由である。

私は此の詩に、例えば黒澤明の『羅生門』の映像を見る。
あるいは溝口健二の『雨月物語』の映像を見る。

いずれにせよ、その映像は妖しい。

此の詩は、上に挙げた二つの映画の或る本質を完璧に表現している。

否、逆のほうが適切に思われる。

上に挙げた二つの映画の映像は、上の詩の或る面の映像化に過ぎない。