趣味人倶楽部という年配者を対象にしたSNSがある。
このサイトは入会者は日記を書くことができ、入会者のほとんどは日記を書いているようだ。
このサイトに数日前に入会した或る人が退会するという。
私は、たまたま其の人の日記が目にとまり興味を覚え、その人の此のサイトでの短い期間の日記を毎日読み、かつコメントも書いてきた。
***
このようなサイトで日記を書く理由は人それぞれだろう。
ある人は自身の「何か」の披露であり、その「何か」の賛同者の出現に快感を覚え、その快感そのものが日記を書く主な動機となっていくだろう。
もし、そうでないなら、なにも此のようなサイトに書く必要もなく自身のノートなり、PCのHDへ書き込むなり、然るべきメディア等へ投稿するなりして、コト足りるはずだからだ。
このような志向の人の、SNSで日記を書くということの行為の危険性は賛同者の不在による失望感で傷つき易いということである。
つまり、そのような志向の人の日記を書く真の動機は自身の「何か」の披露ではなく、他の人との人間的な親密な接触にある。
簡略して言えば、そのような志向の人は自身の孤独感から日記を書いているのであり、その孤独感を薄めるために他の人との親密な接触を実は求めている、と断じてよいように私には思われる。
そして、このような志向の人は、その志向が強いほど、他者の反応に過敏であり、その結果、逆に他者から疎遠になりがちだと思われる。
孤独者ほど他者を求めるのだが其の孤独性が逆に他者をして敬遠させるという悪循環に陥りやすいと思われる。
勿論、他の動機で日記を書いている人も大勢いるだろう。
しかし、上記した志向の人も少なからずいると私は思う。
そういう人にとって、このサイトの「お気に入り」とか「拍手」というシステムは必ずしも良いものではない。
その理由が分からないという人は(このサイトの運営者も含めてだが)、私に云わせれば鈍感な呑気な幸せ者と言える。
なにも難解な形而上的理由などではなく、この現在の申し子である各種のIT技術は実は人間の孤独性を更に悪化させている、と私は思う。少なくとも、そういう一面を内在させている。
***
上記した事柄が事実であることは私は自信をもって断言できる。
なぜなら、私自身が上記した志向の人間に他ならないからだ。
このサイトは入会者は日記を書くことができ、入会者のほとんどは日記を書いているようだ。
このサイトに数日前に入会した或る人が退会するという。
私は、たまたま其の人の日記が目にとまり興味を覚え、その人の此のサイトでの短い期間の日記を毎日読み、かつコメントも書いてきた。
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このようなサイトで日記を書く理由は人それぞれだろう。
ある人は自身の「何か」の披露であり、その「何か」の賛同者の出現に快感を覚え、その快感そのものが日記を書く主な動機となっていくだろう。
もし、そうでないなら、なにも此のようなサイトに書く必要もなく自身のノートなり、PCのHDへ書き込むなり、然るべきメディア等へ投稿するなりして、コト足りるはずだからだ。
このような志向の人の、SNSで日記を書くということの行為の危険性は賛同者の不在による失望感で傷つき易いということである。
つまり、そのような志向の人の日記を書く真の動機は自身の「何か」の披露ではなく、他の人との人間的な親密な接触にある。
簡略して言えば、そのような志向の人は自身の孤独感から日記を書いているのであり、その孤独感を薄めるために他の人との親密な接触を実は求めている、と断じてよいように私には思われる。
そして、このような志向の人は、その志向が強いほど、他者の反応に過敏であり、その結果、逆に他者から疎遠になりがちだと思われる。
孤独者ほど他者を求めるのだが其の孤独性が逆に他者をして敬遠させるという悪循環に陥りやすいと思われる。
勿論、他の動機で日記を書いている人も大勢いるだろう。
しかし、上記した志向の人も少なからずいると私は思う。
そういう人にとって、このサイトの「お気に入り」とか「拍手」というシステムは必ずしも良いものではない。
その理由が分からないという人は(このサイトの運営者も含めてだが)、私に云わせれば鈍感な呑気な幸せ者と言える。
なにも難解な形而上的理由などではなく、この現在の申し子である各種のIT技術は実は人間の孤独性を更に悪化させている、と私は思う。少なくとも、そういう一面を内在させている。
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上記した事柄が事実であることは私は自信をもって断言できる。
なぜなら、私自身が上記した志向の人間に他ならないからだ。