論理学の約束の一つに『前提が偽であれば、そこから導かれる帰結は全て真である』というものがある。
論理にも演算があって命題AとBがあったとき、A+B, A×B等の論理演算結果も定義されていて前者の演算はORとも呼ばれ後者はANDとも呼ばれる。ここらの話は例えばデシダル回路の入門本の最初には必ず出てくる。
この論理演算の一つに、A→Bがあって『AならばB』と読む。
この演算結果は以下のように定義されている。
A B A→B
偽 偽 真
偽 真 真
真 偽 偽
真 真 真
この表をじっと眺めていて奇妙な感じがするのは、Aが偽でBが真・偽のとき『AならばB』は真と定義されていることだろう。前提Aが偽ならばBの真偽の如何に係わらず『AならばB』は真なんて、なんかオカシイじゃん!!!
この違和感は、この論理演算(→)を『ならば』と表現していることからきているのだが、論理学では『前提が偽ならば帰結は全て真』なのである!!
我々の世界の基本的な骨格は論理から成立している(勿論、超論理・脱論理等等の曖昧さも有るが)。
しかし『前提が偽ならば帰結は全て真』という論理学的真理も我々は心得ておくべきだろう。何かの議論をするとき、その議論の前提が偽ならば、その議論の結果は、要するに何でもありの空論となることだ!! ここに議論の前提の重要さがあるというわけだ。
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上記した『AならばB』の違和感について上手く説明した本がある。その本は『現代数学小事典』(講談社ブルーバックス)で、以下のように説明している。
『Aが偽ならばBの真偽に関わらずA→Bが真となるという論理図式は実は我々の日常会話でもよく使われている。(中略)
“君が天才ならば僕はナポレオンのお袋さ”
この発言者は自分の正しいことを言っていると思っている。そして自分がナポレオンのお袋でないことも知っている。よって全体の主張が真であるためには「君が天才」という命題が偽でなければならない。
相手の言い分Aを強く否定しようとするとき絶対真にはなり得ないなるべく突飛なBをもってきて“AならばB”と言い返すのはよく見られる発想である。』