須賀敦子訳、白水uブックスの此の小説について今まで何回か感想を書いてきた。
だから我ながら好きな小説だなと思う。
やはり訳が良いのだと思う。
この小説は'89年に映画化もされていて監督はアラン・コルノー。
大体、小説を映画化したものは詰まらないものが多いが、此の映画は原作の味を失うことなく、大いに私は楽しめた。 NHK BSで放送されるのを待っている映画の一つである。
訳文は誠に平易に書かれていて、晦渋でシュールで且つ形而上的な内容にも関らず、まるで童話を読んでいるような錯覚にとらわれる。
訳者の後書きも面白い。
その内容も紹介したいが面倒なので省略。
興味ある人は、或る意味で奇妙な此の小説を読んだ後、のんびりと後書きも読むとよい。
「ある意味で奇妙な此の小説」と私は書いた。
確かに奇妙であると言える。
***
数学の位相幾何学の分野で『メビウスの帯』という有名なモノ(多様体)がある。
それは細長い紙きれの両端において片方の端を180度回転させて両端を張り合わせて出来るモノで、此れは数学的には裏も表も区別できない。
誰でも簡単に作ることができるから暇だったら作ってみるとよい。
此の、ねじれた輪になったモノを真ん中に沿って鋏で切っていったらどうなるか? 試してみると面白いだろう。
この小説の印象を例えるなら、此の『メビウスの帯』の奇妙さだ。
***
「私」は、インドで失踪した「私」の友人を探しにインドを訪れる。
しかし「私」が見つけた友人は、結局、「私」。
ネタバレになりそうだから詳しくは書かないが、此の小説はミステリー小説というには余りに晦渋である。 (上に書いたように童話のように語られるのだが。)
訳者は『インドの深層とも言うべき事物や人物を自ら体験し』と書いているが、そうも言えるだろう。
インドの深層というより、人間の深層ないし闇と言い換えたほうが良いかも知れない。
但し、此の小説は上にも書いたように決して晦渋ではない。 童話と言ったほうが良い。
その童話に、インドの闇なり人間の闇を見つけるのは読者に任されている。
***
以前の感想にも書いたと思うが此の小説の始めに次の文言が引用されている。
この文言は此の小説が如何なる物語であるか象徴していると言えるかも。
----------------
夜熟睡しない人間は多かれ少なかれ罪を犯している。
彼らはなにをするのか。夜を現存させているのだ。
モリス・ブランショ
だから我ながら好きな小説だなと思う。
やはり訳が良いのだと思う。
この小説は'89年に映画化もされていて監督はアラン・コルノー。
大体、小説を映画化したものは詰まらないものが多いが、此の映画は原作の味を失うことなく、大いに私は楽しめた。 NHK BSで放送されるのを待っている映画の一つである。
訳文は誠に平易に書かれていて、晦渋でシュールで且つ形而上的な内容にも関らず、まるで童話を読んでいるような錯覚にとらわれる。
訳者の後書きも面白い。
その内容も紹介したいが面倒なので省略。
興味ある人は、或る意味で奇妙な此の小説を読んだ後、のんびりと後書きも読むとよい。
「ある意味で奇妙な此の小説」と私は書いた。
確かに奇妙であると言える。
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数学の位相幾何学の分野で『メビウスの帯』という有名なモノ(多様体)がある。
それは細長い紙きれの両端において片方の端を180度回転させて両端を張り合わせて出来るモノで、此れは数学的には裏も表も区別できない。
誰でも簡単に作ることができるから暇だったら作ってみるとよい。
此の、ねじれた輪になったモノを真ん中に沿って鋏で切っていったらどうなるか? 試してみると面白いだろう。
この小説の印象を例えるなら、此の『メビウスの帯』の奇妙さだ。
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「私」は、インドで失踪した「私」の友人を探しにインドを訪れる。
しかし「私」が見つけた友人は、結局、「私」。
ネタバレになりそうだから詳しくは書かないが、此の小説はミステリー小説というには余りに晦渋である。 (上に書いたように童話のように語られるのだが。)
訳者は『インドの深層とも言うべき事物や人物を自ら体験し』と書いているが、そうも言えるだろう。
インドの深層というより、人間の深層ないし闇と言い換えたほうが良いかも知れない。
但し、此の小説は上にも書いたように決して晦渋ではない。 童話と言ったほうが良い。
その童話に、インドの闇なり人間の闇を見つけるのは読者に任されている。
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以前の感想にも書いたと思うが此の小説の始めに次の文言が引用されている。
この文言は此の小説が如何なる物語であるか象徴していると言えるかも。
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夜熟睡しない人間は多かれ少なかれ罪を犯している。
彼らはなにをするのか。夜を現存させているのだ。
モリス・ブランショ