釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

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雑談:『秋』 (芥川龍之介)

2013-07-13 13:34:39 | その他の雑談
今日も蒸し暑い日だ。当然なことだが夏は暑いし、冬は寒い。
昔からそうなんだから仕方ないが、なんだか歳を重ねるうちに其の暑さ・寒さが身に堪えてくる気がする。これは私の主観だけではなさそうで、地球レベルでもそうなっているらしい。

季節外れだが芥川龍之介に『秋』という佳品がある。

若い姉妹が登場する。ストーリーは省略するが、例によって芥川の此の姉妹の心理描写が面白い。私は此の短編を読むと、成瀬巳喜夫の映画を観ているような感じがする。

女性を描かせたら、成瀬巳喜夫の右に出る人はいないと何かで読んだことがある。

芥川の此の『秋』の、妹の夫をめぐる姉妹の微妙な心理の綾も成瀬向きではなかろうか。

例えば成瀬に『めし』という映画がある。ストーリーは、だいぶ異なるが此の映画に登場する人物たちの内面心理は・・・それが内面に留まっていて、外面に噴出しない点においても・・・『秋』の姉妹たちの内面心理に似ている。

我々の日常生活においても、こういう翳(かげ)りのような、淡いと言えば淡い心理の動きは体験しているはずだ。 だから、『めし』においても『秋』においても、我々は登場人物の心理に自己を投影できる。 

芥川の小説は全てそうだが、その特徴は終わりの文章にある。
この『秋』もそうであって、引用してみよう。
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『薄濁った空、疎(まば)らな屋並(やなみ)、高い木々の黄ばんだ梢(こずえ)---後には不相変(あいかはらず)人通りの少ない場末の町があるばかりであった。
「秋---」
信子はうすら寒い幌の下に、全身に寂しさを感じながら、しみじみかう思はずにはゐられなかった。
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この信子(妹)の「寂しさ」も、所詮は、先に書いたように我々も日常で感じている淡い心理の翳(かげ)だろう。

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