釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

73. 『犬の子の鳴き寄る声の・・・』

2012-07-04 11:58:16 | 釋超空の短歌
『犬の子の鳴き寄る声の 
      死にやすき生きのをに思ふ恋は、さびしも 』
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私は以前より掲題のうたが気になっていた。

しかし、無学な私はこのうたの、『生きのを』を理解できなかった。
そこでネットで、この意味を訊いてみた。そしたら丁寧な回答をいただいた。
回答をしていただいた方の解説を、ここに引用しようと思う。

***
ここでいう “を” とは「緒」のことであり、
“生きのを=生きの緒=息の緒”
と捉えて良いと思います。

“生きの緒”を「息の緒」としても歌の意味は変わりないと思います。

また、「緒」と「息」どちらにも“命”“生命”という意味があり、「緒」には “そのもの” という意味があることを考えると、 “生きの緒(息の緒)” とは正に「命そのもの=生ある存在(犬の子)」を指していると言えると思います。

また、ここで “生き” の字を当てたことで、それと対を為す「死」をより強く読み手側に意識させることとなり、リアルに “死にやすき犬の子” に思いを巡らせることを可能にさせています。 そのことが歌にいっそう、切なさ、儚さ、哀れみを持たせています。
***
その方は以下のように解説を結ばれていた。

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「犬の子の鳴き寄る声の」の後の空白は、「(哀愁を帯びた声を持つ)犬の子」と「死にやすき生きのを」の関係が同一であることを際立たせているし、感情の高まりと余韻を持たせる効果になっていると思います
***

釋超空の掲題のうたに、私の浅はかな感想を付け足すのは要らざる蛇足だろう。
私は釋超空のうたは『供養等』に結局は収斂していくのだろうと素人ながら思っている。
『いきものの』というものの『さびしさ』が『供養等』でも歌われていた。
その『さびしさ』を説明するのは難しい。「寂しい」でもない。「悲しい」でもない。
「哀しい」とも違うように私は思う。

ネットで解説していただいた方に私は感謝する。
私の好きな、というより、尊敬するうたが一つ増えたからだ

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