『犬の子の鳴き寄る声の
死にやすき生きのをに思ふ恋は、さびしも 』
***
私は以前より掲題のうたが気になっていた。
しかし、無学な私はこのうたの、『生きのを』を理解できなかった。
そこでネットで、この意味を訊いてみた。そしたら丁寧な回答をいただいた。
回答をしていただいた方の解説を、ここに引用しようと思う。
***
ここでいう “を” とは「緒」のことであり、
“生きのを=生きの緒=息の緒”
と捉えて良いと思います。
“生きの緒”を「息の緒」としても歌の意味は変わりないと思います。
また、「緒」と「息」どちらにも“命”“生命”という意味があり、「緒」には “そのもの” という意味があることを考えると、 “生きの緒(息の緒)” とは正に「命そのもの=生ある存在(犬の子)」を指していると言えると思います。
また、ここで “生き” の字を当てたことで、それと対を為す「死」をより強く読み手側に意識させることとなり、リアルに “死にやすき犬の子” に思いを巡らせることを可能にさせています。 そのことが歌にいっそう、切なさ、儚さ、哀れみを持たせています。
***
その方は以下のように解説を結ばれていた。
***
「犬の子の鳴き寄る声の」の後の空白は、「(哀愁を帯びた声を持つ)犬の子」と「死にやすき生きのを」の関係が同一であることを際立たせているし、感情の高まりと余韻を持たせる効果になっていると思います
***
釋超空の掲題のうたに、私の浅はかな感想を付け足すのは要らざる蛇足だろう。
私は釋超空のうたは『供養等』に結局は収斂していくのだろうと素人ながら思っている。
『いきものの』というものの『さびしさ』が『供養等』でも歌われていた。
その『さびしさ』を説明するのは難しい。「寂しい」でもない。「悲しい」でもない。
「哀しい」とも違うように私は思う。
ネットで解説していただいた方に私は感謝する。
私の好きな、というより、尊敬するうたが一つ増えたからだ
死にやすき生きのをに思ふ恋は、さびしも 』
***
私は以前より掲題のうたが気になっていた。
しかし、無学な私はこのうたの、『生きのを』を理解できなかった。
そこでネットで、この意味を訊いてみた。そしたら丁寧な回答をいただいた。
回答をしていただいた方の解説を、ここに引用しようと思う。
***
ここでいう “を” とは「緒」のことであり、
“生きのを=生きの緒=息の緒”
と捉えて良いと思います。
“生きの緒”を「息の緒」としても歌の意味は変わりないと思います。
また、「緒」と「息」どちらにも“命”“生命”という意味があり、「緒」には “そのもの” という意味があることを考えると、 “生きの緒(息の緒)” とは正に「命そのもの=生ある存在(犬の子)」を指していると言えると思います。
また、ここで “生き” の字を当てたことで、それと対を為す「死」をより強く読み手側に意識させることとなり、リアルに “死にやすき犬の子” に思いを巡らせることを可能にさせています。 そのことが歌にいっそう、切なさ、儚さ、哀れみを持たせています。
***
その方は以下のように解説を結ばれていた。
***
「犬の子の鳴き寄る声の」の後の空白は、「(哀愁を帯びた声を持つ)犬の子」と「死にやすき生きのを」の関係が同一であることを際立たせているし、感情の高まりと余韻を持たせる効果になっていると思います
***
釋超空の掲題のうたに、私の浅はかな感想を付け足すのは要らざる蛇足だろう。
私は釋超空のうたは『供養等』に結局は収斂していくのだろうと素人ながら思っている。
『いきものの』というものの『さびしさ』が『供養等』でも歌われていた。
その『さびしさ』を説明するのは難しい。「寂しい」でもない。「悲しい」でもない。
「哀しい」とも違うように私は思う。
ネットで解説していただいた方に私は感謝する。
私の好きな、というより、尊敬するうたが一つ増えたからだ